戻る 【豆相人車鉄道】へのコメント集   [2005-10-7] コメント追加 [2005-10-8]


『豆相人車鉄道』に たくさんのコメントをいただきました。ありがとうございました。
その中から 一部を紹介させていただきます。
 (全部を掲載するととても長くなるので 一部のみです。文章を短くするなど, 適当に編集してあります。ご了承ください。)

【 N さんから 】
ビックリしました。こんな乗り物があったとは、想像もしませんでした。
湯河原も熱海も小田原も、何度も行ったことはあるのですが、全く 気が付きませんでした。今度行く機会があったら、ゆっくり観察してきたいと思います。
貴重な情報有難うございました。

【N さんから 】
なんと、これは面白い。とても面白い。

【M さんから 】
これも見にいかれたんですねぇ。いつもながらの好奇心プラス行動力、 少し見習わないといけないと思っています。
すみません、この『豆相人車』は「ずそうじんしゃ」と読むのでしょうか、 それとも、「ずそうにんしゃ」でしょうか。「ひとぐるま」ではないでしょうし・・・。

押している昔の写真が、実に雰囲気が出ていて、押している人には 悪いのですが、面白いもんです。坂道を押上げるのは、たいへんだったでしょうね。
讃岐の金毘羅さまでは、石段を自力で登れない人のために、 駕籠屋さんがいて、二人で担ぎ上げてくれますが、これも 見ていると(乗ったことはありません)、なんだか気の毒になって きます。この鉄道もなんとなくそんな気がして、私には、乗り心地は 悪そうです。
復元したものを展示したそうですが、どこかのなだらかな坂道ででも 復元運転をしたら、観光の目玉まではいかなくとも、まつ毛くらいには ならないでしょうか。押し手が見付からないかも・・・。
   いつもながら、面白い話題、ありがとうございます。


何人もの方から 「“豆相”は何と読むのか?」 という問い合わせがありました。 本文中にも書いたつもりだったのですが, もっと目立つように書くべきでした。
熱海(伊豆国) から 小田原(相模国)までの鉄道 ということで 「豆相(ずそう)」。 つまり 豆相人車鉄道 = 『ずそうじんしゃてつどう 』と読みます。
【 O さんから 】
人車鉄道なんて、仰々しくというか 麗々しくというか、 ちゃんと営利団体として存在していたなんて信じられません。
もう遺構なんて何も残っていないのでしょうねぇ。せめてルートが正確に トレースできるのであれば、4時間かけて歩いてみたいですね。

【 Y さんから 】
豆相人車鉄道・・・人車があるなんて、知りませんでした。 興味を引かれてついつい一気読みしてしまいました。 でもやはり、軽便鉄道に取って代わられって、当然だと思います。 小田原〜熱海間を4時間なんて・・・。 電車でちゃっちゃと行ける現在からは想像できませんね。
で、関東大震災で壊れた路線が今海中に沈んでいるのでしょうか? 海中に駅があるとなんかで読んだことありますが、 もと豆相人車鉄道の路線だったんですね。
また次も面白い読み物期待しています。

関東大震災によって 軽便鉄道はズタズタになり, 特に 真鶴〜伊豆山の間(5.4km)の一部は 山崩れのために 道路と一緒に海中に崩れ落ちたと言われます。 海中に駅があるかどうかは知りません。
また 当時の線路はそのまま土砂で埋められ 道路になったところがあったようで, 今でも道路工事などの際に レールや枕木が出てきたりするそうです。
コメント追加 (2005-10-8)
【 Y さんから 】   
毎回いろんな話題、しっかり調べてあり、楽しく読ませていただいております。
豆相人車鉄道のコメントのことで、海中に沈んだ路線のことは 以下に書かれています。
  「海に沈んだ駅」 http://www.ecodive.net/page/jinrui/eki.html
軽便鉄道の物かはわかりませんが・・・。

なるほど。これ以外にも「海中 根府川」などというキーワードで検索すると, たくさんヒットしますね。
実は この海中の駅の残骸は, 豆相人車鉄道のものではなく, 国鉄・熱海線の根府川駅なのです。 (上記サイトには“東海道線根府川駅”と書かれていますが, 関東大震災当時 まだ 東海道線はなく, 熱海線と呼ばれていました。)
少し 時間を追って説明すると 以下のようになります。
【 I さんから 】
私の知らない事ばかり企画されていて 楽しくワクワクしながら拝見しています。
今回の人車鉄道も ヘェそんな鉄道事業も有ったんだ との思いで 楽しく拝見させていただきありがとうございました。

【 G さんから 】
相変わらず精力的ですね。
しかし本当に可笑しい題材を見つけられると感心しています。
湯河原、熱海には数え切れないほど行っているのに 全く気づきませんでした。 今度注意してみます。

【 S さんから 】
豆相人車鉄道を拝読させていただきました。見慣れない漢字のな らびに なんだろうと思ったのですが、読み進むうちに意味がわかりました。
そもそも人が押すという発想がわかなかったので、少し驚きました。
それにしても、このようなものがあることを どこでお知りになられたのでしょうか?

豆相人車は, 何回か テレビで紹介されたので 知ってはいたのですが, 今回は 湯河原に復元模型があると聞いたので, 出かけてみたわけです。
現地を歩いてみて ますます興味がつのってきたので, 参考書(※)を買い込んだりして 調べました。
     (※『幻の人車鉄道〜豆相人車の跡を行く』 伊佐九三四郎著 河出書房新社)
【 O さんから 】
いつも楽しく拝見しております。
豆相人車ですか、存在すら知りませんでした。
人力車の延長線上にある交通機関ですか? 発想がすごいと思います。人力ではなく馬力でよいと思うのですが・・・ 馬より人の方が経費がかからなかったのですかね。

【 N さんから 】
「豆相人車鉄道」面白く読ませて頂きました。馬が鉄道を引く以 前に 人が鉄道を引くという奇想天外な話は聞いた事がありましたが、 「豆相人車鉄道」の事だったんですね。

黒船来襲によって開国を迫られた日本が、それまでの江戸文化と 全く異質の西洋文化を取り入れざるを得なくなった時に、奇想天 外と言うより、斬新でユニークな取り入れ方をしたという風にも思えます。
駕籠を人が担いでいたという事実から、鉄道も人が引 くという発想が出てきたのかも知れませんね。或いはかごかきの 失業対策とか・・(笑)。
従来の和服に代わって、洋服を着るようになった為に、 腕の確かな足袋職人がテーラー職人に替わっていったいったのも、 それでしょうか。


【 F さんから 】
「人車鉄道」の発想は、「人力車」からきているのではないかと 思われますが、日本人的な発想ですね。
同様な輸送手段として西部劇に出てくる「幌馬車」を思い起こします。 日本(人)とアメリカ(人)との発想の違い、文化の違いを感じます。 何故「馬車鉄道」にしなかったのでしょうね!?

【 O さんから 】
伊豆東海岸の135号線は車で良く通りますが、その昔こんな可愛ら しい人車鉄道が通っていたとは知りませんでした。真鶴道路や熱 海ビーチラインが開通する前の旧道にほぼ沿っていたようですね。
真鶴道路は休日には大渋滞する悪名高い道路で、私もやむを得ず 旧道を利用したことが何回かありますが、ヘアピンカーブの 連続で、アップダウンもかなりあり、走り難いルートです。よく ぞこんな所に人車鉄道を走らせたものですね。
馬車は本当に駄目だったのでしょうか? わが国古来の「駕籠」の伝統があったためかも・・・

【 Y さんから 】
こんにちは。いつもながらのユニークな情報 楽しく拝見しています。
エッサエッサの駕籠屋が2人で1人しか運べないのに、3人で6〜8人運べるなんて、 随分効率がいいじゃないですか!
陸蒸気から軽便鉄道の普及の間を縫って 人車鉄道など発想するだけでも 素晴らしく、感激して読ませて貰いました。

なるほど 比較の対象が違うと 効率がよい乗物と見ることもできますね。 つまり これは 大量交通機関ではなく, 駕籠や人力車の延長上にあるのだ, と。
人車鉄道というものが実際に使われたのは, おそらく日本だけではないかと思うのですが, やはり 駕籠や人力車を使っていた歴史があるせいでしょうか。

国府津から小田原までは 鉄道馬車を敷いたのに, 小田原〜熱海に どうして鉄道馬車が 採用されなかったのか, その理由は 「途中の路線が坂道と急カーブの連続で 馬車では無理」 とされていますが, 人力では可能なのに 馬力では不可能という理屈は, 本当のところ よくわかりません。

【 N さんから 】
今回も興味深い話題ありがとうございます。
私の住まいは小田急線沿線で、小田原経由で伊豆半島や沼津など へよく出かけますので 人車時代の大変さが実感できます。
小田原ー熱海なら今では普通列車で22分(人車の12分の1)、 新幹線でたったの8分(人車の30分の1)ですよね。 ただ、最近は新幹線よりも普通列車の方が旅の良さを感じます。 ゆっくり走ると見えてくるものって何か貴重ですね。

【 S さんから 】
また大変楽しい歴史を勉強しました。車両の形といい、線路の上 を走る仕組みといい、基本は全く現在の電車ですね!
この時代 西洋では蒸気機関車が走っていたでしょうに、人の力で トロッコを押すなどの発想はいかにも人力車の日本人がやりそう なことですね。
貫一、お宮が膝つきで乗っていた図などを思い、かの時代のおおらかさを感じます。

【 T さんから 】
いつも楽しく拝見させて頂いております。 人力の鉄道があったとは思いもよりませんでした。
丹那トンネルができるまでは、現在の御殿場線が東海道線で 三島駅は現御殿場線の「下戸狩」駅で、丹那トンネル開通で 海側に線路ができたときに、現在の三島駅ができたという事 を聞いたことがありますが、人力鉄道の話は知りませんでした。
今回、ご紹介いただいた、人車鉄道ですが、乗ってみたくなり ました、どこかの遊園地やアミューズメントパークのアトラク ションとして開発/設置したら面白いだろうなと思いました。
それでは、また楽しい情報をご紹介頂ければ幸甚に存じます。

さすがに 人車を動かしている遊園地はないようですが, 宮城県の松山町では 町おこしの一環として, 御本丸公園内のコスモス園にレールを敷いて, 秋のコスモス祭期間中 有料で運転(?)されているそうです。
松山町には 大正から昭和の初めにかけて“松山人車軌道”が営業しており, 2.5kmを15分で運行しました。当然 現代動かしている人車は 複製品です。
【 F さんから 】
「豆相人車鉄道」を興味深く読ませていただきました。
人車鉄道とはなんのこと? とその存在すら知らずに過ごしてきたのですが… この百年ほどの間に、人々が考えを実現し、それを改良し努力の積み 重ねが今あるものになっているんだと、人の歩みの凄さを思ってい ます。ありがとうございました。

【 O さんから 】
豆相人車鉄道、拝見しました。本当に楽しいですね。
幼少のみぎり、製材所のトロッコで遊び、こっぴどく怒られた記憶が懐か しく蘇りました。人車鉄道は、以前に TVで紹介された記憶があ ります。豆相人車鉄道かどうかは覚えていません。
当時の技術レベルを想像すると、レールもベアリングもお粗末だ ったでしょうから、車丁も大変だったでしょうね。
小田原〜熱海間 25km、所用時間 4Hであれば 6km/H。9つの駅の 間は平均 2.8km。そこには、川があり柵の無い (?) 鉄橋がある。 車丁は各駅で交替したでしょうが、大変なパワーです。 しかし、6km/H は人の歩く速さ並であり、こうした乗り心地の悪 い人車鉄道の必要性が本当にあったのか疑問に思いました。観光 用でしょうか。
車体の重量や往復回数/日、夜や雨風時の運行、車丁の給料、等 々も分かると面白いですね。

上掲の参考書には, 明治30年の時刻表や 運賃・給料の額などが掲載されています。
小田原←→熱海は 一日6往復でした。 (熱海発 : 7:40, 9:00, 10:10, 11:30, 13:25, 15:00)
やはり夜間は運行しなかったようですが, 時刻表があるということは 天候にかかわらず 運行されたのでしょう。

車丁の日給は 約47銭。客車は 48両あったと記録されているので, 車丁は 1両2人として 96人も抱えていたことになり, 直接人件費だけで 45円ぐらい。 ほかに 役員や職員の給料を含めると, 一日の運賃収入 約100円の 85%ぐらいが 人件費に消えて行ったようで, 設備の維持費などを考慮すると 利益は ほとんど出なかっただろう, と書かれています。

なお, 一日6往復なのに 車両48両とは多すぎるように感じますが, 写真にもあったように 一度に2〜3両, 時には7〜8両も連なって運行していたようで, おそらく 客の人数に応じて 車両を増やしていたのでしょう。
また 片道4時間もかかるので, 多くの車両は 一日に片道だけの運行しかできず, その意味でも 車両の利用効率は 相当悪かったと思われます。

【 M さんから 】
今回の豆相人車鉄道 面白く拝読いたしました。
読みながら思い出したことは、先の大戦の戦時下に木炭バスが走っ ていて後ろの席に腰をおろすと寒いときは喜んだものでした、 お話にあるように坂道に差し掛かると 車掌さんが乗客に降りて押して下さい、 と頼んでいたことを思い出しました、今になると懐かしく思います、

ああ, 木炭バス。懐かしいですね。黒煙をもうもうと上げながら, 坂道をヨタヨタと走って行ったのを思い出します。 パワーが落ちてくると,道端に止まって 木炭を投げ込み, ハンドルを回して ガスを発生させていました。昭和24-5年頃の記憶です。

話は全然違いますが, テレビで「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」 の様子が 放送されていました。
ヒマラヤ山脈の南東にある ニュージャルパイグリ(標高114m)から ダージリン(標高2143m)までの88kmを 8時間で結ぶ軽便鉄道です。 当時 インドを植民地にしていたイギリスが, 紅茶の輸送と 避暑客の輸送のために建設し 1881年(日本では 明治14年)に全通させました。 軌間610mmというから 豆相人車鉄道よりも 更に狭い オモチャ鉄道で, 英語でも 文字通り "TOY TRAIN" と呼ばれています。

蒸気機関車がディーゼル機関車に変わったことを除けば, ほとんど昔のままに運行されていて, 現在は 世界遺産に登録されています。 同じ区間を バスだと2〜3時間で行けるのに その何倍もの時間をかけて 今も運行されているのは 何故なんでしょうか。
一度 実物を見てみたいものです。


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