発祥の地bannar
ビール麦・金子ゴールデン発祥の地
 [びーるむぎ・かねこごーるでんはっしょうのち]

場所
東京都練馬区豊玉南2丁目
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東武・東上線の練馬駅から 南に約1km。
豊玉南小学校の北向かいに 豊玉氷川神社がある。南側から参道を入ると すぐ左側に 2枚の板を開いたような形の 黒い御影石製の石碑が建っている。

日本におけるビール麦の栽培は, 明治初めに 国産ビールの原料として, 外国から導入された品種によって 北海道で栽培されたのが最初とされる。
本格的に栽培されるようになったのは 明治中期以降で, 政府の奨励もあって盛んに行われた。

そもそも“ビール麦”という名称は通称であって, 正確には(ビール醸造用の)大麦である。 古くから日本で栽培されていた大麦は 小粒の“六条大麦”で 麦飯・醤油・味噌などに使われてきた。 それに対して ビール麦として輸入されたのが“二条大麦”で, 粒が大きく ばらつきが少ないのが特徴。
この六条大麦の一品種である「四国」と輸入品種である「ゴールデンメロン」の交雑種が 「金子ゴールデン」となった。

なおこの碑は, 正面からは 2枚の平板を並べたように見えるが, 裏から見ると ビール樽を半分に割って開いた形になっているのがわかる。 大変ユニークな面白い造型である。

発祥碑の隣には, 1997年に JAが建てた「江戸・東京の農業」を顕彰する標識があって, 次のように書かれている。

江戸・東京の農業 ビール麦の金子ゴールデン

 わが国のビール麦栽培は外国から導入された品種によって始められました。
 最初に導入されたのは江戸時代末期といわれていますが, 本格的に導入されたのは明治に入ってからで, 政府が勧業の一策として諸外国から穀類の種子を導入し, 試作を進めました。
 当時, 輸入された中には大麦も多く, 明治20年(1887)にはゴールデンメロン(米国)の名が記録されています。  北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900), 六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成しました。
 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくく, 一時, 関東一円に栽培が広がりました。この品種を親にエビス1号, ニューヨークゴールデン, アズマゴールデン, ふじ二条等の優良品種が育成され, 初期のわが国ビール醸造に大きく貢献しました。
                平成9年度JA東京グループ
                農業協同組合法施行50周年記念事業
                東京あおば農業協同組合

撮影日
2007年4月
碑文
ビール麦・金子ゴールデン 発祥の地

 ビール麦「金子ゴールデン」は, 明治三十三年(1900)篤農家 金子丑五郎によって 東京市北豊島郡中新井村の当地で育成されました。翁は 江戸末期の文久元年(1861)十 月二十日に生れ, 優れた先見性と旺盛な研究心, 地道な努力を積み重ね, 米麦をはじめ 野菜の品種改良にも情熱を傾け, 近郊農家の経営安定に大きく貢献しました。特に国産 ビールの需要拡大を予見し, 輸入品種と国産種の自然交配から「金子ゴールデン」を選 抜・育成しました。つくりやすい性質から当地では「矢羽」の愛称で, 昭和二十五年(1950) 頃まで盛んに生産されていました。翁が改良した種子は, 貴重な遺伝資源として「独立 行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンク」に永久保存されています。
 練馬区豊玉が生んだ翁の功績を地域文化として伝承し, 都市農業の振興のため, 平成 十五年翁を慕う農民等が相集い, 栽培の復活に取り組みました。努力の甲斐あって, 多 くの人々が喜びを共有して国産ビール黎明期の味を楽しんだことを, 翁の功績と共に後 世に伝えるため, 碑を建立します。
        平成十八年十月吉日
          金子ゴールデン記念碑建立実行委員会

金子ゴールデン発祥の地碑 同・裏面
金子ゴールデン発祥の地 碑
同・裏面
ビール樽を割って開いた形