発祥の地bannar
丸碧発祥之地
 [まるへきはっしょうのち]


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場所
愛知県安城市御幸本町
コメント
JR東海道本線の安城駅から南西に150m。
“光徳保育園”の西50m,JRあいち中央の事務所との間に「共存同栄碑」と「歴代会長顕彰碑」 それに石灯篭の建った一坪ぐらいの一角があり,その片隅に「丸碧発祥之地」と刻まれた碑が経っている。
(正確には「丸碧」は○の中に“碧”の文字を組み込んだ記号であるが,通称「丸碧」と読み書きされているらしい。)

「丸碧」とは“碧海郡購買販売組合連合会”の事で,1923(大正12)年に創設され,米や鶏卵の共同販売を行っていた。
鶏卵については,それまで農家の個人販売か各集落の鶏卵組合による販売であったものを,1923年より「丸碧」が集荷・販売・代金回収の一切を行うこととなり,集荷された鶏卵は大きさで選別後,「丸碧」の統一ブランドの箱に詰めて,毎日貨車1両分を東京市場に出荷していたという。これによって卵の生産額は 1920(大正9)年から1931(昭和6)年までの10年間で約3倍に増加したという。

安城地域(碧海台地)は 明治初期から開削された「明治用水」を利用して開拓された台地で,水田の耕作拡大のみならず,養鶏や果樹栽培などの多角化を行い,農業先進国のデンマークにあやかり「日本デンマーク」と呼ばれた。
しかし,戦争の悪化などの理由により果樹や養鶏の統制が強まり,また戦後の工業化の進展により,1946(昭和21)年に丸碧は解散し,安城市農協(現在のあいち中央農業協同組合)に姿を変えていった。

この碑が建立された場所は 購買連が事務所を構えていた所で、現在は光徳保育園のある場所にあたるが,その後 農協と光徳保育園の間で調整し,保育園西の現在地に移転した。

「共存同栄碑」には,次のように書かれている。

            共存同栄碑
産業組合碧海郡部会は明治四拾五年七月に創立爾来年を経るにつれ郡民の質実に組合役員の努力に相待って産業組合本来の使命を発揚し碧海郡をして日本唯一の農村振興池たらしめし事は予が昭和五年五月拾五日の御進講に奏上せり加ふるに大正拾五年七月拾九日には久邇宮朝親王殿下昭和弐年拾壱月廿日には勅使昭和四年拾壱日廿五日には高松宮宣仁親王殿下昭和五年七月廿七日に賀陽宮惟憲王殿下昭和八年五月廿八日には梨本宮安正王殿下昭和拾壱年拾弐月拾六日には朝香宮鶴彦王殿下昭和拾弐年壱月廿八日には秩父宮同妃西殿下のご視察を忝ふし又内外各地より見学者亦踵を接して来り之が為めに■組合の拡充強化が助成され事績亦進展の一路を辿りたるは郡民の光栄旦に慶福とする所たり今皇紀弐千六百年並更生病院創設五周年を紀年すると同時に丸碧連合会弐拾七年の歴史を閲つるに当り各宮殿下よりの御下賜金を基金として其事績を記念せしが為め更生神社の建営をなし祭神は天照皇太神大已貴命少彦名命の三柱を鎮め奉り永遠に碧海郡産業組合員の守護神と仰ぎ奉つることを不朽にせんと茲に碑を建つ
        皇紀弐千六百年記念   従四位勳四等山嵜延吉謹書
撮影日
2010年1月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
丸碧発祥之地
     昭和五十九年八月

 
丸碧発祥之地碑 共存同栄碑・
丸碧発祥之地 碑
共存同栄碑 など

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