発祥の地bannar
町村農場発祥之地
 [まちむらのうじょうはっしょうのち]


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場所
北海道石狩市花川南三条1丁目
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JR函館本線の手稲駅から北東に7.5km。
道道44号線に面して南線小学校があり,その裏(南東)側に南線神社(みなみせんじんじゃ)がある。参道入口の石鳥居の手前左側に,台座に載った黒御影石の石碑「町村農場発祥之地」が建っている。

石狩市地区は 明治20年代に開拓者の入植が始まり,30年代に大規模に土地が払い下げられ,1897(明治30)年 町村金弥はこの地に120ヘクタールの土地を購入して「町村農場」を開いた。
その20年後の 1917(大正6)年,金弥の長男・町村敬貴はここに牧場を開き,ホルスタイン種の乳牛を導入して 日本の酪農の近代化に尽力した。
1928(昭和3)年に 農場は石狩町から江別町対雁(現・江別市)に移転,さらに周辺の住宅地化が進み 農場の維持が難しくなったため,1992(平成4)年に 江別市の篠津に移転した。

町村金弥は,札幌農学校の第2期生で,卒業後牧場の管理に携わり,後に自ら農場の経営にあたった。
町村敬貴は 金弥の長男で,父親と同じ札幌農学校を卒業後,単身アメリカに渡り 牧夫として酪農を実習。更にウィスコンシン州立農科大学に学び,1916(大正5)年に10年間のアメリカ生活を終えて帰国した。農場経営の傍ら,戦後 参議院議員として活躍し,農業界への功績により藍綬褒章を受章した。
また 町村敬貴の実弟・町村金吾は 北海道知事や自治大臣を歴任。その次男の町村信孝は,自民党の衆議院議員で,外務大臣を務めるなど,町村一族は 実業界・政界・学界に多くの人材を輩出している。

撮影日
2011年5月
碑文
町村農場発祥之地

この地は明治三十年町村金弥氏が百二十町歩の農場を創設した所である
町村金弥氏は札幌農学校第二期の卒業生で 真駒内種畜場の初代場長である
長男敬貴氏は真駒内に生れ札幌農学校を卒業して米国に渡り 滞米十年酪農業の神髄を体得して帰朝し 大正六年この地にホルスタイン種の牧場を創業した
爾来数次に亘り米国より優秀な種牛を輸入し 昭和三年本土地を自作農に解放して 江別市に移転する迄春風秋雨十年余 刻苦精励して優秀な種牛を全国に供給し 我国酪農業の発展に偉大な貢献をした由緒ある地である
敬貴氏はその功に依り 昭和二十年貴族院議員に勅選せられ 次いで参議院議員に選任せられた我国酪農界の先駆者である
茲に町村農場創設八十年牧場創業六十年を記念してその功を偲び碑を建立する
    昭和五十四年九月
    当時苦楽を俱にした
     実習生代表  山元茂謹書

        題字  町村金五
        世話人 福田藤男
            高橋 正
        建立  町村末吉


 
町村農場発祥之地碑 南線神社
町村農場発祥之地 碑
南線神社


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