発祥の地bannar
高山社発祥の地
 [たかやましゃはっしょうのち]


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場所
群馬県藤岡市高山
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JR八高線の群馬藤岡駅の南西 8km。
県道13号の“宿神田”交差点から西に曲がり,県道176号を3〜4km進むと,一軒の大きな農家があり,道路をはさんだ向い側の小さな空き地に「高山社発祥の地」と書かれた碑(説明板)と「高山社跡」という石標が建っている。

群馬県では「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産として登録すべく準備を進めている。世界遺産の対象の一つに「高山社発祥の地」が挙げられている。
高山社というのは,藤岡市出身の高山長五郎により改良された養蚕の飼育法「清温育」を全国に広めるために作った教育組織。1884(明治17)年に開設し,明治30年代には全国から生徒が集まり,全国共通の養蚕技術として養蚕業の発展に貢献した。

明治時代,生糸は日本の重要な輸出品で,全国的に養蚕が盛んに行われた。しかし蚕は自然の温度での飼育環境(“清涼育”)では病気で死んでしまうことが多く,安定した生産ができなかった。また 人工的に温度や湿度を管理して蚕を効率的に飼育しようとする“温暖育”が試みらたこともあったが,勘と経験による方法であったため不安定さは払拭できなかった。
このような中,清涼育と温暖育の折衷方式として “清温育”が高山長五郎によって完成され,全国に普及して行った。

高山長五郎は1884(明治17)年に社員数136人で「高山社」を設立し,養蚕組合活動以外に養蚕伝習所の活動を開始。門下生や養蚕伝習所の卒業生を養蚕教師として各地の分教場(卒業生の農家など)へ派遣。1901(明治34)年にはこれを学校組織として“私立甲種高山社養蚕学校”を設立した。1997(明治40)年の最盛期には,62ヶ所の分教場に4万人の社員,1200人以上の生徒を抱えていた。
大正時代に入ると 新しい飼育法が開発されたため,高山社の清温育は衰退し,高山社は1927(昭和2)年に廃校となった。

撮影日
2010年4月 (写真提供 H.O.さん)
碑文1
高山社発祥の地  Birthplace of Takayama-sha
  世界遺産暫定リスト記載富岡製糸場と絹産業遺産群

ここは,幕末から明治時代の養蚕指導家 高山長五郎が生まれ育ち,養蚕研究に取り組んだ地です。長五郎はこの地で「清温育」を考案しました。清温育とは,暑い日には換気をし,寒い日には火気で蚕室を暖める蚕の飼育法です。長五郎は蚕室の構造から間取り,蚕かごの配置,クワを刻む包丁の形や刻み方までも指導し,飼育技術の向上に努め,明治時代の末には全国に「高山社流清温育」が普及していったのです。高山社は,明治34年に私立甲種高山社蚕業学校を市内に設立し,60以上の分教場,1,200人の生徒,4万人の社員を有する全国一の養蚕指導組織となりました。

  敷地は個人の所有地です。敷地内への立ち入りはご遠慮ねがいます。
  下のボックスにリーフレットがございますのでお持ち帰りください。
                藤岡市教育委員会文化財保護課

碑文2 
国指定史跡 高山社跡
    平成二十二年三月八日設置 藤岡市教育委員会
    文部科学省


 
高山社発祥の地碑
高山社発祥の地 碑

高山社跡碑 高山社跡の民家
高山社跡 碑
高山社跡の民家

移転先 http://840.gnpp.jp/takayamasha/