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西日本航空発祥之地
 [にしにほんこうくうはっしょうのち]


場所
福岡県朝倉郡筑前町
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甘木鉄道・大刀洗駅の南西500m。原地蔵公民館の前に 大きな自然石の発祥碑と 四角い塔のような慰霊碑が並んで建っている。

「西日本航空発祥」と言っても 民間航空の歴史を現すものではない。
ここ大刀洗にはかつて 旧陸軍の飛行場があり, 飛行第四連戦隊・大刀洗陸軍航空廠・ 大刀洗陸軍飛行学校・第五航空教育隊 などが駐屯していたが, 昭和20年, 米軍の爆撃によって 大刀洗飛行場は壊滅し, 現在は 当時の面影は ほとんど見られない。
大刀洗駅に行くと, 旧駅舎の建物が そのまま「大刀洗平和記念館」となって, かつての大刀洗飛行場の歴史を示す品々が展示されており, 多数の特攻隊員の遺影が並んでいる。

撮影日
2005年11月
碑文
西日本航空発祥之地
  大刀洗会名誉会長 立山武雄 謹書

此地は南朝の忠臣菊池武光公一族の古戦跡で大刀洗と称する. 大刀洗飛行隊は大正8年所沢より移駐, 飛行第4大隊が誕生. 後年戦斗, 偵察隊が編成され, 飛行第4連隊と改称, 大正2年飛行第6連隊を編成, 韓国平壤へ移駐大正13年飛行第8連隊を編成し, 台湾屏東へ移駐, 昭和3年中国済南事変に出動, 昭和5年秩父宮殿下を奉迎昭和6年閑院宮殿下を奉迎, 同年満州, 上海事変に出動, 昭和12年支那事変勃発, 総動員令下令, 飛行第8大隊(戦斗)独立飛行第4・6中隊(偵察)第2飛行場紐帯を編成地, 北支天津に出動, 昭和14年飛行第4戦隊と改称, 本県菊津へ移動, 後山口県小月へ移駐, 外地出動部隊も飛行第77戦隊, 飛行第45戦隊と改称. 昭和16年大東亜戦に突入し, 小月第4戦隊は, 西日本地域の防空に, 外地出動部隊は南方全域に勇戦した. 大刀洗陸軍航空廠は昭和14年創設, 西日本各地に支廠を設置し軍官民一致協力して, 飛行機の補修整備に活躍した大刀洗陸軍飛行学校は昭和15年熊谷陸軍飛行学校より分離創設陸軍少年, 飛行兵, 特別幹部候補生の操縦教育訓練を行い, 戦列参加の操縦者養成にあたった, 第5航空教育隊は昭和13年創設, 航空兵初期教育を行い, 戦隊配置のため強兵訓練にあたった. 斯くの如く伝統と光輝ある大刀洗飛行隊も, 昭和20年終結幾星霜を経るに至り, 基地発足以来死生を共にした幾多軍官民の栄誉と鎮魂をねがい国家の恒久平和を祈念するため有志相寄り茲に記念碑を建立する.  以上

  昭和61年9月7日
    建立委員 (氏名略)

西日本航空発祥之地碑 慰霊碑
西日本航空発祥之地 碑
慰霊碑