発祥の地bannar
狩野派発祥の地
 [かのうははっしょうち] 


場所
静岡県伊豆市本柿木
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国道136号(下田街道)を 修善寺インターから南に5km。本柿木の“柿木橋”バス停付近から西に入る分岐点の南角に,「室町〜江戸時代日本の画壇の本流・狩野派発祥の地・狩野城跡」という,大きな看板が目に入る。

この看板は,看板のある場所が狩野派の発祥地であるという意味ではなく,ここから500mほど西に,「狩野城」の跡があって,この城が その後長期間にわたって隆盛を誇った狩野家の出発点になっているというのだが,肝心の狩野城跡に行っても,そこには「狩野派発祥の地」とは書かれていない。

狩野派は 親・兄弟などの血族関係を中心とした画家の集団で,江戸時代末期までの およそ400年もの長期間 日本の画壇に君臨した,非常に特異な画家の系列である。室町幕府の御用絵師となった狩野正信を祖として,元信・永徳・山楽・探幽・・・など名前を挙げきれないほどの多くの名人を輩出している。

この狩野家が 狩野城と どのような関係があったかについては,必ずしも明確な説明はなく,一方狩野正信は関東・下野の出身という説もあり,どのように説明づけたらいいのか,門外漢の筆者には説明することができない。
狩野城跡に建てられている地元教育委員会の説明板には,次のように書かれている。

    伊豆市指定史跡 狩野城跡

 この狩野城跡は,平安末期(1100年ごろ),狩野氏によって築かれた城の跡である。標高190mの城域には,鎌倉時代に発達した二重堀を備え,本郭・西郭・南郭・中郭・東郭・出丸に区分される。中世山城の遺構が,築城後千年近くも保存されている重要な史跡である。
 狩野氏は祖狩野維景が駿河守を退任し,初め,市内日向に館を構えたが,その子狩野維職が伊豆押領史を務めるなど,軍事上の必要もあり要害の地を選んでこの地に移った。最初の城主は二代維職が三代維次と思われる。
 維景から五代の孫茂光は,その子親光と共に源頼朝に従い,治承四年(1180)石橋山の合戦に敗北自刀したが,子孫は鎌倉,室町両幕府に伊豆を代表する武将として仕えた。
 明応二年(1493)からの北条早雲伊豆侵攻の折,城主狩野道一は足利方に付き戦い,明応七年に敗れて開城した。その後一族は小田原に移り,後北条氏の重臣として重職を歴任している。
 室町時代中頃から絵師として栄えた。狩野派の初代狩野正信は,維景から十六代の孫である。

 (城跡の案内図は一番下の写真参照)
    昭和五十八年二月二十八日指定
        伊豆市教育委員会
撮影日
2005年6月 
碑文
(案内看板)
室町〜江戸時代日本の画壇の本流
   狩野派発祥の地
    狩野城跡 ⇒500m
       天城湯ヶ島ライオンズクラブ

 
狩野派発祥の地看板

 狩野派発祥の地 看板
案内図
 狩野城跡 案内図