発祥の地bannar
金剛流発祥之地
 [こんごうりゅうはっしょうのち]

場所
奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目
コメント
JR関西本線の法隆寺駅から北西に2km。
斑鳩町立 たつた保育園の西隣りに“龍田神社”がある。神社の鳥居をくぐって左側に「金剛流発祥之地」と刻まれたやや大型の石碑と説明板が建っている。

能楽の金剛流は,大和猿楽4座(結崎・円満井・外山・坂戸)の一つ「坂戸座猿楽」がルーツで,ここ斑鳩の里を発祥の地とする。
大和4座は,大和一円の大寺に所属した猿楽座で,外山座と結崎座は 現在の談山神社に,円満井座は興福寺に,坂戸座が法隆寺に属したといわれ,後にそれぞれ 観世座・宝生座・金春座・金剛座と呼ばれるようになった。

坂戸座は 坂戸孫太郎氏勝を流祖とし,6世の三郎正明から「金剛」を名乗った。華麗・優美な芸風から「舞金剛」,装束や面の名品を多く所蔵することから「面金剛」などとも呼ばれる。豪快な芸風で知られた 7世金剛氏正は「鼻金剛」の異名を取り,中興の祖とされる。
江戸初期に金剛流から喜多流が分派し“四座一流”と呼ばれるようになった。

この発祥碑は,斑鳩町制施行50周年を記念して,1997(平成9)年に建立された。

コメント
(2013/4 追加)
上記の龍田神社から700mほど北西,仙光寺の南側に“春日神社”がある。
神社の社殿の一つの中に「金剛能発生之地」という木の札が掛かっていて「当神社の由来」という案内板には次のような金剛座(=坂戸座)との関わりが書かれている。
金剛流は斑鳩町が発祥の地とされていて 発祥の地碑は瀧田神社にあるが,当時の金剛座の本拠地は春日神社にあったということだろう。

      当神社の由来
この春日神社は本殿三社と小社西より須佐男之命社続いて猿田彦社,八大童子社,月読之命社,土坂之命社をおまつりしてこの地方の人々の無事健康と五穀豊穣をお祈りしてきました。そして次のような神さまのご託宣をうけています。
 「魔をはらい 小高き山の上より氏子を幸わせに導く」と。
中央社殿の棟木には「宝徳二年建之」と墨書されています。室町時代中期で紀元1450年です。しかしそれより以前はこの北の山ふもとにお祀りしていて,右に観音堂があり左に阿弥陀院,鐘楼,湯殿もあったりっぱな神宮寺だったそうで,当時の観音さま(国宝)は今も仙光寺におまつりしています。
この神社は氏子の責任者として春日講(十人衆)の者がお守りしています。また当神社の宮元座は昔板戸座といゝ法隆寺や龍田神社に猿楽を奉納しました。金剛座ともいゝ金剛能発祥の地であると言われています。(志賀剛文学博士)
昭和のはじめまでは龍田本宮(三郷町)と龍田新宮との渡御がありそれには必ず参列しました。また龍田新宮の例祭には毎年古来の様式 による御膳をお供えしています。
     一月六日 祈念祭・三月十五日 垣結・十月八日 例祭
             昭和五十四年十月  春日講中一同敬白

撮影日
2012年12月 (写真提供 totteさん)
2013年3月 (写真提供 H.T.さん)
碑文
金剛流発祥之地
  平成九年二月吉日建立
        斑鳩町
        金剛流

(説明板)
 金剛流は,能楽シテ方の一流で,大和猿楽四座(結崎・円満井・外山・坂戸)のうちの坂戸座を源流とする。
 坂戸座は,その名称を法隆寺周辺部にあった古代郷で,おおむね源斑鳩町の並松・五百井・服部・竜田・小吉田・稲葉車瀬・神南付近を範囲とする坂戸郷に由来し,古刹法隆寺に所属して発展をみた猿楽の座である。
 中世の法隆寺付近には,法隆寺東郷・西郷が成立しており,その郷民たちの精神的紐帯として祀られた竜田神社を中心に,竜田市が栄えていた。「法隆寺々要日記」によれば,覚元元年(1243)にはこの市の守護神として,摂津西宮から夷神が勧請され,その祭礼に郷民自身による猿楽が盛んに演じられたとある。
 法隆寺付近の郷民たちは,竜田市の経済力を背景に,強固な自治的組織を生み育て,祭礼に彼ら自身が芸能を演じて楽しむとともに,彼らのなかで法隆寺に所属し,大和一円で活躍した専門の猿楽集団である坂戸座を育てたのである。
 よってここに金剛流発祥之地の碑を建てる。

 
金剛流発祥之地 碑
金剛流発祥之地 碑
同・説明板
同・説明板
龍田神社
龍田神社
金剛座発生之地 看板(春日神社)
金剛座発生之地 看板
 @春日神社
 (2013/3)
同・説明板
春日神社 社殿内部
(左に 金剛座発生之地の看板)
 (2013/3)
春日神社の由来 説明板(2013/3)
春日神社の由来 説明板
 (2013/3)