発祥の地bannar
日本美術院発祥之地
 [にほんびじゅついんはっしょうのち] 


場所
東京都台東区谷中5丁目
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JR日暮里駅の西500m。長明寺・宗林寺など多くの寺に囲まれるような場所に 「岡倉天心記念公園」がある。公園を入って左側に 「岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地」の白い石碑〔写真(1)〕が, また 公園入口前には「岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡」という 東京都が設置した説明板〔写真(2)〕がある。

明治期の美術思想家として著名な 岡倉天心は 横浜に生れ, アメリカ人宣教師に英語を学んだ。 1871(明治4)年に 東京に移り, 東京開成学校(現東京大学)に学び, アメリカの東洋美術史家 フェノロサと出会い, その研究を手伝った。
1889(明治22)年には「東京美術学校」を設立し 初代校長に就任。
1898(明治31)年に 横山大観らと 美術の大学院をめざした「日本美術院」を設立。
1905(明治38)年には ボストン美術館東洋部顧問にも就任して渡米したため 日本美術院(「前期」美術院)は解散状態となった。

1913(大正2)年 岡倉天心が50歳で病没すると, 横山大観を中心に 日本美術院が再興され,有力な美術団体に発展し 今日に至っている。

撮影日
2005年11月 (写真提供 T.K.さん)
碑文(1)
岡倉天心先生旧宅趾
日本美術院発祥之地
   昭和42年5月吉日
碑文(2)
東京都指定旧跡
  岡倉天心宅跡
  旧前期日本美術院跡
          所在地 台東区谷中5丁目7番
          指定  昭和27年11月3日

 日本美術院は明治31年(1898)岡倉天心が中心に なって「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」こと を目的として創設された民間団体で, 当初院長は天心, 主幹 は橋本雅邦, 評議員には横山大観, 下村観山らがいた。
 活動は絵画が主で, 従来の日本画の流派に反対し, 洋画の 手法をとり入れ, 近代日本画に清新の気を与えた。
 この場所に建てられた美術院は明治31年9月に竣工し た木造2階建で, 南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸 研究室・書斎・集会室)からなり, 附属建物も2,3あった といわれている。明治39年(1906)12月に美術院 が茨城県五浦(いずら)に移るまで, ここが活動の拠点となっていた。
 昭和41年(1966)岡倉天心史跡記念六角堂が建て られ, 堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
    平成11年3月31日 建設
            東京都教育委員会

日本美術院発祥之地碑 旧前期日本美術院跡碑
(1)岡倉天心先生旧宅趾 ・
  日本美術院発祥之地 碑
(2)岡倉天心宅跡    ・
  旧前期日本美術院跡 碑