発祥の地bannar
日本映画発祥の地
 [にほんえいがはっしょうのち]

場所
京都市中京区備前島町
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阪急電鉄京都本線河原町駅の木屋町出口から北に200m。
高瀬川に面する元・立誠小学校玄関前の歩道上に「日本映画発祥の地」と書かれた駒札風の木製の碑が建っている。

この地は 1897(明治30)年に稲畑勝太郎が,日本で最初に映画を映写(試写)した場所で「日本映画発祥の地」と呼ばれている。
同じ年,稲畑は大阪難波の“南地演舞場”で 観客から入場料をとって興行として映画を上映し,同地は「映画興行発祥の地」と呼ばれる。

稲畑は 15歳の時にフランスに留学し染色技術を学び,帰国後染料店を開業。やがて“日本染料製造(株)”の社長に就任した。1922(大正11)年には大阪商工会議所の会頭に就任するなど,実業界で活躍した。
1926(大正15)年“(財)日仏文化協会”を設立し,フランス語の啓発や日仏交換留学生の派遣など,フランスとの文化交流・親善をはかった。
1897(明治30)年,商用で渡欧した際に,留学時代の友人であるリュミエール兄弟から“シネマトグラフ(撮影機兼スクリーン映写機)”を持ち帰り,同年1月 この地 京都電燈会社の庭(現・関西電力河原町変電所付近)で日本初の映画の上映会を開催。さらに2月には大阪・難波で日本初の映画興行を実現した。

元・立誠小学校のあるこの地は,江戸時代には土佐藩邸,明治期には京都電燈社の社屋が置かれた。昭和初期になって立誠小学校の狡地となり,3階建ての鉄筋コンクリートの校舎が建築された。
小学校は児童数の減少により1993(平成5)年に廃校(他校と合併)となり,現在は旧校舎が保存され,地域の自治会行事やイベントの拠点としても利用されている。

撮影日
2013年9月
碑文
日本映画発祥の地

 当地は明治三十年(1897),実業家であり,後に大阪商工会議所会頭も務めた稲畑勝太郎(1852〜1949)が日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功した場所である。
 明治二十九年(1896),万国博覧会の視察と商用でパリを訪れた稲畑は,フランス留学時の旧友リュミエール兄弟の発明したシネマトグラフ(映写機兼カメラ)と,その興行権,フィルムを購入し,リュミエール社の映写技師兼カメラマンのコンスタン・シレルを伴って帰国した。そして翌明治三十年一月下旬から二月上旬にかけての雪の降る夜,京都電燈株式会社の中庭(現在の立誠小学校跡地)で国内初の映画の試写実験に成功した。
 映画の上陸は,単にヨーロッパの文化や最新技術を日本に伝えただけでなく,人・もの・事物を記録し伝える映像メディアのはじまりであり,新しい娯楽・芸術産業の始まりでもあった。この地を起点にした日本映画は二十世紀を代表する国民娯楽に成長していった。
                     京都市


 
日本映画発祥の地 碑
日本映画発祥の地 碑
元・立誠小学校 正面玄関
元・立誠小学校 正面玄関