発祥の地bannar
七宝焼起原碑
 [しっぽうやききげんひ]


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場所
愛知県あま市七宝町遠島
コメント
名古屋鉄道・津島線の七宝駅から 南南東に600m。
“だいきち美術七宝焼記念館”の南に遠島八幡神社があり,その境内に「七宝焼起原碑」という大きな石碑が建っている。 しかし 碑面の風化が激しく,碑文を読み取ることはほとんどできない。

「七宝焼」(しっぽうやき)とは,金・銀・銅などの金属の下地の上に釉薬を乗せて高温で焼成する工芸品で,多くの宝石を材料にして作られ,極めて美しい美術品として「七宝焼」と呼ばれた。
七宝焼の基本的な技術が生まれたのは 中近東で,これがシルクロードを通って中国に伝わり.さらに日本にも伝えられた。日本最古のものは,奈良県・藤ノ木古墳より出土したものがあり,また奈良の正倉院には“黄金瑠璃細背十二稜鏡”が収蔵されている。
日本に伝えられた七宝焼の技術は,当初は刀装具や襖の引き手などの装飾に使われたが,その技法は 各藩の秘伝であって,広く世に伝えられることはなかった。

これに対して,当地の梶常吉という人物が,オランダ人から譲りうけた一枚の七宝焼の皿を得て研究し,皿を破砕分析して胴胎植線施釉の構成を知り,精巧な七宝焼を制作した。
その技法が七宝町遠島の林庄五郎に受け継がれ,さらに塚本貝助・塚本儀三郎により この地に七宝焼の基盤が作られた。

遠島八幡神社境内にある「七宝焼起原碑」は,林庄五郎派と梶常吉の娘婿の佐藤半三郎派の間で 技術を秘密にするか否かの対立があったっため,これを仲直りさせるために建てたとされる。両派とその他七宝焼にたずさわっている人々が一致団結して組合を一本化するために1887(明治20)年に建てられた。
技術はこの附近一帯に広まり,明治中期・後期におこなわれた町村合併に際しても「七宝焼」の名前を残すために「七宝村」の村名を残してきたが,2010年の大合併によって「あま市」となり「七宝町」の名は市内の一町名として残された。

撮影日
2010年5月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
七宝焼起原碑
  (起源碑は表面に苔が一面に広がり,碑文を読み取るのが困難である。)

 
七宝焼起原碑 七宝焼起原碑(題字部分)
七宝焼起原碑
七宝焼起原碑(題字部分)

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