発祥の地bannar
国際電信発祥の地 長崎電信創業の地
 [こくさいでんしんはっしょうのち] [ながさきでんしんそうぎょうのち]


場所
長崎県長崎市南山手町
コメント
長崎電軌・大浦天主堂下停留所の西 100m。 長崎全日空ホテルの敷地内に フェンスに囲まれて「国際電信発祥の地」「長崎電信創業の地」 「南山手居留地跡」と 同じ規格の石碑が3本 並んで建っている。

電気通信の歴史は 1837年にモールスによって電信が発明されたことに始まる。 「トン・ツー」のモールス信号を扱う電信機は, 1850年代には 長崎の出島商館に持ち込まれていたが, 実際に国内通信が行われたのは 明治2年のことだった。
ヨーロッパでは早くから国際電信網の敷設がはじまっていて, 1871(明治4)年には ヨーロッパから シベリアを横断する電信線が完成した。このような背景から デンマーク系のグレート・ノーザン (大北)電信会社によって 長崎-上海間 および 長崎-ウラジオストック間の海底電線が敷設され, 国際通信が開始された。

一方, 日本国内の電信網の敷設は, 1869(明治2)年の 東京〜横浜間を皮切りに 全国に拡大され, 電信線が長崎まで延長されたのは 1873(明治6)年のことになる。つまり 国際電信が 開始された時点では, 長崎からの電報は 外国に通じていても, 東京にはつながっていなかった。
この年, 居留地内のベルビューホテルの一室を借りて長崎電報局が設置され, 国際電信の窓口業務が開始されたが, 1873(明治6)年になって 国内各地との公衆電報の取扱も始まった。

余談だが, 明治新政府の 所謂岩倉使節団の一員として欧米に派遣された 大久保利通が, 明治5年にニューヨークから東京宛に発信した電報は, 5時間後には長崎で受信されたが, これが東京に届いたのは その3日後のことだったという逸話が残っている。 長崎-東京の電信が通じていなかったため 人手によって運ばれたためである。

撮影日
2006年10月 (写真提供 H.O.さん 及び N.I.さん)
碑文[1]
国際電信発祥の地
  Site of Japan's first international telegraph station

 明治4年(1871)長崎-上海(中国), 長崎-ウラジオストック(露国)間に デンマーク系の大北電信会社によっ て, 海底電信線が開通した。
 これで日本と世界が初めて即時に 情報交換ができるようになった。
ここが最初に設けられた通信所である。
碑文[2]
国際電信発祥の地
明治4年6月(1871)デンマークの大北電信会社は長崎上海間に海底線を敷設しこの地に あったホテル・ベルビューの一室を借り わが国最初の国際電信業務を開始した 同年9月 長崎-ウラジオ間の交信も開始された
碑文[3]
長崎電信創業の地

明治初年此の地に在ったベルビュー・ホテル内に開局された長崎電信局と当時日本で一番長い 電信線で結ばれた東京電信局との間で明治6年(1873年)4月29日九州最初の国内電 報の取扱, 隣接の大北電信会社電信局との間で日本最初の国際電報の中継取扱が開始された。


 
国際電信発祥の地・長崎電信創業の地碑 発祥碑と全日空ホテル
国際電信発祥の地
長崎電信創業の地 碑
発祥碑と全日空ホテル