発祥の地bannar
日本橋魚市場発祥の地
 [にほんばしうおいちばはっしょうのち] 


場所
東京都中央区日本橋室町1丁目
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日本橋の北詰 東側に「日本橋魚市場発祥地碑」が建っている。
江戸〜大正までの期間, このあたりから北 (三越の東側一帯) にかけて 大きな魚市場が 広がっていた。

碑文は くずし字で書かれ, おまけに 古くなっているため 大変読みにくいが, その内容は おおよそ次のようなものである。

昔から 東京湾でとれる魚を売りさばくために, 日本橋に魚河岸ができていた。 この頃の市場は 漁民が自分で商っていた。
徳川家康が江戸に幕府を開いた際, 摂津の佃村・大和田村から数十名の漁民を江戸に移り 住ませて 江戸城で消費する魚をとらせた。
幕府に納めた残りの魚を 一般に販売するために, 魚をとる人と 商う人が分離されて, 本格的な魚市場になり, 諸国からの海産物も入荷するようになって 大いに賑わった。
この魚河岸は 明治・大正時代まで 300年余り続いたが, 関東大震災により 魚市場は 築地に移転を余儀なくされた。

撮影日
1999年12月
碑文
日本橋魚市場発祥の地

本船町小田原町安針町等の間悉く鮮魚の肆なり, 遠近の浦々より海陸のけぢめもなく鮮魚をこゝへ運送して, 日夜に市を立て甚賑へりと江戸名所図会にのこれる 日本橋の魚市魚河岸のありしはこのあたりなり, 旧記によればその濫觴は遠く天正年間, 徳川家康の関東入国と共に, 摂津の国西成郡佃大和田両村の漁夫三十余名, 江戸にうつり住み, 幕府の膳所に供するの目的に漁業営みしに出づ, その後 慶長のころほひ幕府に納めし残余の品を以て, これを一般に販売するに至り, 漁るもの商ふものゝ別おのづからこゝに生じ, 市場の形態漸く整ふ, さらに天和貞享とすゝみて諸国各産地との取引ひろくひらけ, 従ってその入荷量の膨張驚くべきものあり, かくしてやがて 明治維新の変革に堪へ, 大正十二年関東大震災の後を受けて, 京橋築地に移転せざるのやむなきにいたるまで, その間じつに三百余年, 魚河岸は江戸及び東京に於ける屈指の問屋街としてまた江戸任侠精神発祥の地として, よく全国的の羨望信頼を克ちえつゝ目もあやなる繁栄をほしいまゝにするをえたり, すなはちこゝにこの碑を建てる所以のもの, われらいたづらに去りゆける夢を追ふにあらず, ひとへに以てわれらの祖先のうちたてたる文化をながく記念せんとするに外ならざるなり。

    東京に江戸のまことのしぐれかな

   昭和二十九年三月,旧日本橋市場関係者一同に代わりて

          日本芸術院会員 久保田万太郎 撰
          日本芸術院会員 豊道慶中 書


 
日本橋魚市場発祥の地碑
 日本橋魚市場発祥の地碑