発祥の地bannar
武相困民党発祥之地
 [ぶそうこんみんとうはっしょうのち] 


場所
神奈川県相模原市上鶴間
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JR横浜線の町田駅から 約500メートル南西に, 鹿島神社 と 青柳寺 が並んでいる。
その中央の境界線の 青柳寺側に, 茶色の大きな石碑が建っている。

1880(明治13)年前後は 未曽有の好況にわき, 農村でも 借金をしながら 養蚕などによる 現金収入の拡大を目指そうとした。
しかし 1883(明治16)年から 突然デフレになり(いわゆる“松方デフレ”), 農村も不況のどん底に陥り, 借金の返済は滞り 業者の取り立てに苦しんだ。
この危機を打開するために 農民は党を結び, 金融業者に対して 返済条件の緩和を求める大衆運動を組織した。これが「武相困民党」である。
一時は 150村にまで広がる 大きな運動となったが, 結局 警察権力の弾圧により 壊滅した。

困民党は この他にも各地に結成されたが, 中でも「秩父困民党」の運動は いわゆる“秩父事件”として有名である。映画「草の乱」の題材にも取り上げられた。
なお, 八王子市の安養寺境内には「困民党首領塩野倉之助之碑」がある。

撮影日
2004年3月
碑文
武相困民党発祥之地

 明治17(1884)年7月31日,上鶴間とその周辺の農民300人は, 金融会社の負債問題を協議するため,当青龍寺の境内に集まった。 この集会こそ その後数ヶ月にわたって武相の山野をゆるがした, 武相困民党のさきがけをなすものであった。つづく8月10日には, 上鶴間村を先頭に数千人の農民が御殿峠に蜂起し, 武相7郡150村に及び 大組織に発展して行った。
 この困民党事件は, 先行する自由民権運動の影響の下で, 借金地獄からの脱出と生存の自由を求めて立ち上がった運動であった。 しかしこの壮大な運動も翌18年1月には権力の弾圧の前に力尽きて潰滅した。
 ここに, 武相困民党百周年を記念し, 事件の概要と指導者の名を勒して その事蹟を伝える。

上鶴間村 渋谷雅治郎 渋谷元右衛門
     渋谷喜代太郎 渋谷彦兵衛
     渋谷彦右衛門 阿部要八
     青龍寺22世神部日遥           建碑者
下溝村  福田島吉 座間友三郎          渋谷晋一
     座間八三郎 小山勝右衛門 小山万吉   渋谷祐二
小山村  井上登一                渋谷照義
本市出身の自由民権家               渋谷高幸
    下久沢村 山本作左衛門          神部日翁
    相原村 神藤利八 淵野辺村 河本崇蔵
      1986年11月19日

              神部宣省 題
              大畑 哲 撰
              山本邦夫 書

武相困民党発祥之地碑 青柳寺
武相困民党発祥之地 碑
青柳寺