発祥の地bannar
がまの油発祥の地
 [がまのあぶらはっしょうのち] 


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場所
茨城県土浦市城北町
コメント
JR土浦駅の北西1km。国道125号線の浄真寺前の狭い道を東に入ったところに 白水稲荷神社があり, その鳥居脇に 発祥碑が建つ。

がまの油というと あの「がまの油売り」の口上を思い出す。
今では 一種の「芸」として見られるばかりで, 実物を見る機会はほとんどなくなった。

さーてお立会い。手前 ここに取りいだしたるは 万金膏ガマの油。ガマと言っても 普通のガマとガマが違う。これより東 筑波山の麓。おんばこという露草を食って育った 四六のガマだ。四六五六はどこで見分ける。前足の指が四本,後足の指六本, 足を合わせて四六のガマだ。山中深く分け入って捕まえたこのガマを, 四面鏡張りの箱に入れるときは,ガマはおのれの姿の鏡に映るのを見て驚き, タラーリ タラーリと油汗を流す。これを集め 柳の小枝にて 三七は二十一日の間 トローリと煮詰めましたるがこのガマの油だ。さあどうだ。
このガマの油の効能は,ひびにあかぎれ,しもやけの妙薬,まーだある。 大の男が七転八倒する虫歯の痛みもピタリと止まる。まだ大事なものが残っている。 刃物の切れ味も止める。 口上だけでは分からない。刃物の切れ味をとめて見せようか。
取出したるは夏なお寒き氷のやいば。1枚の紙が2枚。2枚が4枚。4枚が8枚。 8枚が16枚。16枚が32枚・・・
ほーれこの通り, ふっと散らせば雪が降る。 これなる名刀も ひとたびこのガマの油をつけると たちまちなまくら。 おしてもひいても切れはせぬ。
さあ,ガマの油の効能が分かったら買っていきな・・・ 男は度胸, 女は愛嬌。山でうぐいすホーホケキョ。筑波山のてっぺんから 真っ逆さまに飛び下りた思いで 半値でどうだ。どんどん買ってけ・・・

がまの油の発祥については 様々な説がある。
がまの分泌物にノリを加えて固化したものを「センソ(蟾酥)」といい, 漢方薬として 中国から輸入されていた。効能も痛み止め・止血・鎮痛の作用があることが 昭和の初め頃になってから科学的に証明されたそうである。
一説によると, 筑波山の寺の住職・光誉上人が, 徳川家康の大坂城攻めの時に 徳川方として従軍。戦傷者の手当てに使ったらよく効いて評判となった。 住職の顔がガマガエルに似ていたために『ガマの油』として有名になったという。
がまの油売りの口上を考えたのは 筑波の永井兵助といわれるが, “エレキテル”の平賀源内が考案したのではないかとする説もある。

ここ 土浦市のがまの油発祥説は, 諸説の中ではマイナーかもしれないが, 堂々と「発祥の地」碑を建てたので 早いもの勝ちになったようだ。

撮影日
2005年9月
碑文
がまの油発祥の地

当白水稲荷神社の隣りに七兵衛長屋があり 明治の後期にこゝに住んでいた人が外用薬を つくるため真鍋地崎赤池付近に生息するがま を捕えこれを天日で乾かし種油のようなもの と蝋をまぜて煮つめ液状化し貝がらに入れ 上州筑波山麓土浦の陣中膏はがまの油として 香具師らによって口上よろしく広く発売され たものでこれが供養のためこゝにその由来を 記して後世に伝えるものである
  昭和五十八年五月  聴雲座
                 出場逸人書

がまの油発祥の地碑 白水稲荷神社
がまの油発祥の地 碑
白水稲荷神社


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