発祥の地bannar
囲碁「本因坊」発祥の地
 [いご・ほんいんぼう・はっしょうのち] 


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場所
京都府京都市中京区藤木町
コメント
地下鉄東西線の市役所前駅から 北に500m。
御池通と丸太町通の間,夷川通が寺町通にぶつかった所の歩道上に 『囲碁「本因坊」発祥の地』と書かれた駒札(立て札)が建っている。 その足元には 2つの石の腰掛けに挟まれて石の碁盤が置かれている。

囲碁は奈良時代に,遣唐使に加わった吉備真備が日本に伝えたとされ,貴族の遊びとして広まったようで, 清少納言や紫式部も打ったらしい。
戦国時代になると 戦争のシミュレーションとして 武将たちに大いに好まれ, 信長・秀吉・家康など有力武将が碁の達人を抱えたりした。
江戸時代になると,本因坊家・井上家・安井家・林家の四家が碁の家元と呼ばれ, 優秀な棋士を育て 互いに切磋琢磨しあった。 年に一回 江戸城内で行われる御城碁(おしろご)の勝負は,四家がそれぞれ代表を数人選んで対局し, ここで負けることは家の不名誉であるとされた。
なお,本因坊の発祥については 下記の碑文に書かれている。

歩道上に置かれた石の碁盤は,2009年1月に 発祥の地の駒札を設置した際にモニュメントとして造られ, 記念に 今村九段と滝口九段の打ち初め式が行われた。
夏の夕涼みをかねてここで碁を打つのもいいかもしれないが,冬の寒空の下で石の腰掛けに座るのは 考えただけで寒そうだ。

撮影日
2009年11月
碑文
囲碁「本因坊」発祥の地

 この寺町通の名は,天正十七年(1589)頃 豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。
 寂光寺もそのひとつで,別名を久遠院ともいい, 通りを挟んだ西側の町名「久遠院前町」にその名残が見られる。
 寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(にっかい)(1559〜1623)は, 信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く,江戸幕府が開かれると, 徳川家康の命によって寺を弟子に譲り,本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所(ごどころ)を任された。
 算砂は江戸に屋敷を拝領した後も,寺町の本因坊を本拠として, 春に江戸へ下り,年末に京に戻る暮らしをしていた。
 以降,本因坊の名は世襲で受け継がれたが, 二十一世の秀哉(しゅうかい)は,真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡し, 昭和十一年(1936),今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。
 宝永の大火(1708)で罹災した寂光寺は現在,仁王門通東山西入るに位置し, 算砂愛用の盤石や算砂直筆の囲碁狂歌などの貴重な史料を蔵している。
                京都市


 
囲碁「本因坊」発祥の地碑
囲碁「本因坊」発祥の地碑
石の碁盤と石のベンチ 発祥碑と石の碁盤
石の碁盤と石のベンチ
発祥碑と石の碁盤


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