JR山陽本線の長府駅から南南東に2km余り。忌宮神社から 参道(鳥居前通り)を
200mほど直進した 三叉路に, 大きな自然石の発祥碑が建つ。
碑文には「・・・蛤御門の変,長州征伐と 長州藩は激動と苦難の道をたどることになるが,
元治元年(1864) 功山寺における高杉晋作,回天の挙兵により歴史は大きく展開し,
やがて明治維新を迎える事になる。」と 簡単に書かれているが, この当時の状況の変化は
まことに目まぐるしいものがあった。特に“回天義挙”をきっかけに 長州藩が尊攘になり,
薩長同盟の下地ができ, やはて 明治維新の導火線となった。
1863年, 長州藩による下関における外国船攻撃。敗北。
高杉晋作, 奇兵隊を組織。
1864年, 政変により 長州藩が京都から追放。
長州藩は蛤御門の変で敗北して朝敵となる。
英・仏・米・蘭の4カ国連合艦隊が下関を砲撃, 砲台を占拠。
高杉晋作 4カ国との交渉に当り 講和条約の正使として活躍。
禁門の変。藩政は俗論党に占められる。
高杉晋作 奇兵隊等の決起を促して挙兵。
(クーデター。いわゆる“回天義挙”)
1965年, 長州藩から俗論党が一掃される。
1866年, 坂本龍馬を仲介として 薩摩藩との間に薩長同盟を結ぶ。