発祥の地bannar
自由民権発祥の地
 [じゆうみんけんはっしょうのち]


発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。
個別の移転先ページのリンクは、このページの下部をご覧ください。

場所
福島県田村郡三春町桜谷
コメント
JR磐越東線の三春駅から南東1.6kmに 三春町の役場・図書館・社会福祉協議会などがある。町役場の斜め裏,社会福祉協議会の向かい側にある道を歴史民俗資料館に向かって100m程上ると,右手に広場があり「自由民権発祥の地」碑と「磐州河野廣中之像」が並んでいる。

明治の新政府は 薩長を中心とする藩閥政府であり,憲法もなく国会も置かない専制政治であった。自由民権運動は このような政治のあり方を批判し,民選による国会の開設・憲法の発布・地租の改正などを目指して全国的に展開された運動。
福島県は,土佐と並んで自由民権運動の激しい高まりを見せた地域で,この地(三春町)は,自由民権運動の先駆者・河野広中をはじめ,多くの運動家を輩出した町である。

河野広中は 1878(明治11)年に政治結社“三師社”をおこし,1881(明治14)年に 自由民権思想の普及を目指した学塾“正道館”を創設。多くの若い運動家を育て,東北地方における運動の中心となり,ここで育成された運動家たちは 演説会などを通じて活発な活動を展開した。
広中は 1881(明治14)年に福島県議会に当選。その後32歳で福島県議会議長になった。
運動の盛り上がりに対して,時の政府は 集会条例などによる言論弾圧で対抗。1882(明治15)年に,福島県令・三島通庸の暴政に対する反対運動が起きた際に,河野広中をはじめ 約60名が逮捕され,彼も有罪とされた。
この「福島事件」をきっかけに 自由民権運動は全国的に激化し,1884(明治17)年に 茨城県の加波山で挙兵決起するという,いわゆる「加波山事件」などに発展した。

これらの運動は 政府による大弾圧を受けながらも,1889(明治22)年の 帝国憲法制定,翌年の帝国議会の開催まで続けられた。
1890(明治23)年の第1回総選挙で 河野広中は衆議院議員に初当選。それ以来 1918(大正7)年の第14回総選挙まで連続当選を果たし,その間 1903(明治36)年には 衆議院議長,1915(大正4年)には第2次大隈内閣の農商務大臣を務めている。

撮影日
2010年9月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
自由民権発祥の地
        福島県知事  佐藤栄佐久謹書
 この地三春町は福島県における自由民民権運動発祥の地で,常に県内民権運動の先頭に立ち,その中枢的役割を果たしてきたところである。
 すなわち,先覚者河野廣中を盟主とする多くの同志たちは,明治十一年に政治結社「三師社(さんししゃ)」を創立して民権運動を推進し,同十四年には青年活動家養成の学塾「正道館(せいどうかん)」を独自に創設して実践的運動を展開した。またこの年創立したわが国最初の政党としては例のない政治誌「三陽雑誌(さんようざっし)」を発刊するなど,その先駆的活動は県内は元より東北地方最大の自由民権運動の拠点になっていた。
 これに対し,藩閥政府を背景にした福島県令三島通庸(みちつね)は,三春町を拠点とした県内の自由民権運動の大弾圧を強行し,明治十五年(1882)の秋,「福島事件」といわれる騒動を起こし多数の県民を獄に投じた。とくに三春町は河野廣中・田母野秀顕ら十名の同志が国事犯として東京に護送され幽囚の辛苦をうけ,さらに明治十七年の「加波山(かばさん)事件」では正道館に学んだ五名の三春青年が死刑・無期徒刑等の断罪に処せられている。
 ここに三春町合併五十周年に当たり,われらはわが国近代政治の先駆的役割を果たした先人の輝かしい政歴を顕彰し,歴史の証人としてこの碑を建立する。
     平成十八年(2006)四月
          三春町自由民権運動顕彰会
          三春町自由民権記念碑建立実行委員会


 
自由民権発祥の地
 自由民権発祥の地

v
磐州河野廣中之像

移転先 http://840.gnpp.jp/jiyuminken-miharu/