発祥の地bannar
古都保存法発祥の地
 [ことほぞんほうはっしょうのち]


場所
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目
コメント
JR鎌倉駅の北方 1km。鶴岡八幡宮の境内西側の道路を北に向い, 県立近代美術館別館の前を 狭い路を更に北に入ると, 右側にフェンスで囲まれた 空き地が続く。ここに 「古都保存法発祥の地」碑, 「『史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画』見直しの記念碑」, 「国指定史跡鶴岡八幡宮境内」説明板 の3つが並んで建っている。

ここが「古都保存法発祥の地」と呼ばれる由縁は, 下の碑文 および 「国指定史跡鶴岡八幡宮境内」の説明に詳しく書かれている。

    国指定史跡鶴岡八幡宮境内

 この地域は, 「国指定史跡鶴岡八幡宮境内」のうち, 二十五坊跡あるいは 御谷(おやつ)と呼ばれ, 鶴岡八幡宮寺に仕えた僧侶の住坊が営まれていたところです。 建久年間(1190年代)供僧二十五口の制が定められ, 鎌倉時代には鶴岡八幡 宮寺別当が東大寺, 東寺などの別当をかねるなど, 日本仏教界の中心の一つ となっていましたが, 明治初年の神仏分離の影響を受け, 廃絶しました。
 また, この地域の史跡整備に先立ち, 昭和63年3月に史跡の保存管理計 画を策定しましたが, 平成2年以降住民との話し合いが行われ, 平成13年 4月に住民の意見を反映した保存管理計画に改定しました。
 今後は住民をはじめ, 市民の方々の協力を得ながら, 史跡の保存, 整備に 取り組んでいきたいと考えています。
        平成15年3月  鎌倉市教育委員会
撮影日
2006年1月
碑文(1)
古都保存法発祥の地

 この地, 御谷(おやつ)は古都としての聖域・鶴岡八幡宮の後方にあ たり, 谷戸正面の山一体は■踞峰と称する霊地であった。
 昭和39年, この御谷に宅地開発の手が伸びるにいたり, 貴重な自然と歴史的環境を守ろうと御谷地区住民と多くの市 民が起ちあがり, 宅地開発への反対運動を繰り広げた。
 その勢いは国会も動かすこととなり, 昭和41年, 「古都」 をもつ府県選出の国会議員を中心とした超党派の議員立法と して「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」 (俗に「古都保存法」という)を誕生させた。
 よって, 当地を古都保存法発祥の地と称する
             神奈川県・鎌倉市
             

碑文(2)
「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」見直しの記念碑

 昭和63年3月, ここ御谷および鶴岡八幡宮前面東側の横町を含んで 「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」が, 住民の全く知らない間に策定された。 しかも策定後, 住民に何の説明のないまま, 住民の財産権・生活圏を侵害する厳しい 「現状変更制限」が開始された。
 このため, 御谷および横町の住民は, 巨福呂坂町内会および横町町内会の全面的な 支援を得ながら, 「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画を見直す住民の会」を組織して, 鎌倉市・神奈川県・文化庁と13年間にわたり, 40回以上の粘り強い話し合いを続けた。 その結果平成13年1月, 住民の財産権・生活圏と文化財の保護とを両立させることを 基本として「保存管理計画の見直し」とその「解釈・運用の基準」を住民参加により 策定した。
 これは, 鎌倉市は勿論のこと, 広く我が国の, 今後の文化財保護および国指定史跡に おける保存管理計画策定の規範・指針となるものである。
 このことは, 市民自らがブルドーザーの前に立ちふさがることによって, 御谷の自然と環境の破壊を防いだ昭和39年の「御谷騒動」を通して, 我が国「ナショナルトラスト運動誕生の地」および 「古都保存法発祥の地」となった ここ御谷住民の輝かしい伝統を受け継いだ市民主義の成果である。
よって, この記念碑を建立して永く後世に伝える。

    「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」を見直す住民の会
                     平成13年9月建之

古都保存法発祥の地碑(左), 史跡鶴岡八幡宮境内 説明(右) 「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」見直しの記念碑
古都保存法発祥の地碑(左)
史跡鶴岡八幡宮境内 説明(右)
「史跡鶴岡八幡宮境内保存管理計画」
見直しの記念碑