発祥の地bannar
清閑寺窯発祥の地
 [せいかんじがまはっしょうのち] 


場所
京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町
コメント
JR京都駅から東北東に3km。
東山ドライブウェイが国道1号(東海道)から分かれて,ヘアピンカーブを曲がった北側に,清閑寺がある。寺の本堂前の庭に「清閑寺窯発祥の地」と書かれた木の立て札(駒札)が立っている。

安土桃山時代ごろからの茶の湯の流行を背景として,それまで瀬戸などから供給されていた陶器は,需要の増大に応じて京都に窯を移して焼くようになり,“京焼”が産み出された。
初期の京焼には,粟田焼・清水焼・音羽焼・修学院焼等があり,現在では“古清水”と総称される。

清閑寺窯については諸説あって詳細は不明な部分が多いが,江戸時代初期に清閑寺の僧・宗伯が寺内に窯を築き,やがて野々村仁清が宗伯の門に入り,これは清閑寺焼(別名 音羽焼とも)と呼ばれた。
仁清は,後に仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開き,作品に“仁清”の印を捺し 自分の作品であることを宣言した。即ち 仁清は近代的な意味での“陶芸作家”としての意識をもった最初の陶工である。
さらに野々村仁清の技術は 尾形乾山等に引き継がれていった。

ちなみに,清閑寺は高倉天皇と小督の局の悲恋で有名であり,寺の説明板には次のように書かれている。

           清閑寺
 歌乃中山(うたのなかやま)と号するする真言宗智山派の寺である。ここから清水寺までの山路は,かつては歌の中山と呼ばれる名所で,桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。
 延暦二十一年(802)に,天台宗の寺として比叡山の紹継(しょうけい)法師によって創建され,一条天皇の時代(986〜1011)に勅願寺となった。
「平家物語」の悲恋で知られ高倉天皇と小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺で,平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は,宮中を追われてこの寺で出家させられたと伝えられている。天皇は深く心を痛め,自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し,二十一歳の若さでこの世を去った。背後の山に,六條天皇と高倉天皇の御陵があり,高倉天皇陵の傍らには,天皇の死後,生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。
 庭にある大きな石からは扇を広げたような形で市内が一望でき,その石が丁度扇の要の位置に当たることから「要石(かなめいし)」と呼ばれ,願いをかけると叶うといわれている。
 かつては法華三昧堂や宝塔などが並んでいたが,現在は菅原道真が梅樹から彫ったという本尊・十一面観音像を安置する本堂を残すのみである。
                          京都府
   

撮影日
2013年6月 (写真提供 K.T.さん)
碑文
清閑寺窯発祥の地

    現在の京都市東山清閑寺
   山ノ内町にあった古窯
    江戸時代(1615−24)に
   清閑寺住僧・宗伯が開窯した。
   宗伯は,京焼の名工野村仁清
   の師でもあった。

 
清閑寺窯発祥の地 碑
清閑寺窯発祥の地 碑

清閑寺 山門
清閑寺 山門

清閑寺 説明板
清閑寺 説明板