発祥の地bannar
「青鞜社」発祥の地  [せいとうしゃ はっしょうのち] 


場所
東京都文京区千駄木5丁目
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不忍通りの“団子坂下”交差点から 西に向かい 団子坂を上ると, 数ブロック先の 右側(北側)に NTT-ME のビルがある。このビル前の 公衆電話ボックスの前に 金属プレートがはめ込まれている。

青鞜社は, 明治末期に, 女性の権利が認められないことに不満を抱いた 平塚雷鳥らが結成した組織で, 当初は 女性の文学者の集まりだったが, 次第に 女性の解放運動に目を向けていった。
「元始、女性は太陽であった。真性の人であった。今、女性は月である。」 で始まる 青鞜社の宣言はよく知られる。
この場所は, 青鞜社の社員の一人 物集和子の自室で, 雑誌『青鞜』の編集室になった。

撮影日
2002年11月 
碑文
「青鞜社」発祥の地    文京区千駄木5-3-11

 青鞜社は, 平塚らいてう (雷鳥・1886〜1971) の首唱で, 木内錠子(ていこ)・ 物集(もずめ)和子・保持(やすもち)研子(よしこ)・中野初子ら 20代の女性 5人が発起人となり, 1911年 (明治44) 6月1日に結成された。 事務所は ここ旧駒込林町9番地の 物集和子宅におかれ, その裏門に「青鞜社」と墨で書かれた 白木の表札が掲げられた。
 月刊「青鞜」の創刊号は 明治44年9月に発刊された。雷鳥の発刊の辞 「元始, 女性は実に太陽であった」は有名で, 女性たちの指針となった。 表紙絵は 後に高村光太郎と結婚した 長沼ちゑの作である。
 青鞜社は始め 詩歌が中心の女流文学集団であったが, 後に 伊東野枝が中心になると, 婦人解放運動に発展していった。 事務所はその後 4ヶ所移り, 「青鞜」は1916年 (大正5) 2月号で廃刊となった。

          文京区教育委員会   平成8年3月

「青鞜社」発祥の地
 「青鞜社」発祥の地

「青鞜社」発祥の地
 「青鞜社」発祥の地