発祥の地bannar
明治教育創施之處
  [めいじきょういくそうしのところ] 


場所
山形県酒田市相生町1丁目
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JR羽越本線の酒田駅から 南西に500m。
市立浜田小学校の西に 曹洞宗の寺・天正寺がある。 寺の前の左側にたくさんの石仏があって,その向かいに「明治教育創施之處」と刻まれた 大きな石碑があり,傍に木製の説明板が建っている。

明治5年に学制が発布され 酒田にも小学校が開設されたが, 教員の確保が困難であった。 当時の酒田県は ここ天正寺に教員の候補者を集めて 初等教育の教師の養成を急いだ。
その状況は 碑文に書かれている通りで,この地は 明治初期の教育創始の地である。

撮影日
2008年10月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
明治教育創施之處
        勲四等本間光彌篆額
明治五年學制公布七年一月酒田縣簡抜鶴岡人小倉政舉中臺
直矢小室由成派遣東京師範學校命視察小學教育之實况二月
下旬歸縣復命縣乃招集教員候補者拾餘名於酒田天正精舎傳
習児童教授之方法三月十五日學斎藤脩太郎荒生久太郎斎藤
敏次及余為酒田天正學校教師四月九日縣官區吏臨場行開校
典児童入學者百有六人是即酒田公學之創施也尋設椒坊本街
西臺教樂四校督励學齢児童普令入学焉實昭代之盛事也鳥兎
匆匆屈指則五十年干茲矣其間教育制度之變遷亦雖不遑枚舉
顧爾来 皇澤洋洋文物燦然紘誦之聲到處莫不聞誰無今昔之
感哉當時受教此校者相謀開設記念會且翌樹石傳之於不朽請
文於余余雖不文義不可辭乃記其梗概云爾
  大正十二年十二月
      正六位勲五等遠藤宗義撰
        後學  白崎吉蔵書

(説明板)
    明治教育創施之處
 明治二年六月,天正寺において学而館 開校式が行われたが,三年十月学校規則 改正で廃校となった。
 明治五年に学制頒布となり,天正(天 正寺町),椒坊(山椒小路),本街(本 町),西台(下台町)の四小学校が創ら れ,翌八年鳴鶴(亀ヶア町),繰松(本 町),泉流・馨香・清風(寺町),漸進 (船場町)の開校となるが,教員養成が 当面の急務であった。酒田県は明治七年 二月教員候補者十余名を天正寺に集め, 先に東京師範学校へ派遣した先学者を講 師として児童教授法を伝習し,新設の各 小学校へ配置した。三月十五日,斉藤脩 太郎,荒生久太郎,斉藤敏次,遠藤宗義 が天正学校に赴任した。
 四月九日,入学者百六名を迎えた天正 学校の開校式典には,来賓として多数の 県や郡の関係者が参列して,盛大に執行 された。此のことはまさに酒田公学の創 施として,まことに記念すべき日である。
 歳月流れて五十年,当時教えを此の学 校に受けた卒業生が記念会を開設し,昭 代の盛時を樹石にして不朽に伝えようと し,文は当時の教師であった遠藤宗義に 請うて,そのあらましをここに記するも のである。

明治教育創施之處碑
明治教育創施之處 碑


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