発祥の地bannar
地名発祥之処 梶原塚
 [ちめいはっしょうのところ かじわらづか]


場所
東京都北区堀船3丁目
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都電荒川線の梶原駅から 北に500m。読売新聞社の東京北工場の西隣に 福性寺がある。 寺の本堂前の 植え込みの陰に 写真に示す石碑が建っている。

この付近一帯は かつて“梶原”という地名で呼ばれていた。
読売新聞東京北工場の西側, “堀船周回ロード”の入口付近に「『堀船』の名の由来」という 説明板が建てられており, ここに“梶原”について 次のように書かれている。

  『堀船』の名の由来

 堀船の名は, 堀之内村と船方村とが合併してできたものである。 江戸時代から明治22年まで, このあたりは梶原堀之内村であった。 しかし, 昭和7年に東隣の船方村と合併して堀船という地名になった。
 足利時代末に, 太田道灌の孫であり, 太田資正(三楽斎道誉)の 子である梶原政景が今のポンプ場(堀船3丁目の下水道局王子ポン プ場)あたりに屋敷を構えたと言われている。その屋敷の内=堀の内 ということで, 梶原堀之内村と呼ばれていた。梶原の姓は, 永禄元 年(1558), 古河公方義氏の元服の時に太刀役を務め, 梶原の姓 を与えられたという説(『異本小田原記』)と, 同4年, 長尾景虎が 上杉姓と関東管領を譲られた拝賀の時に与えられたとする説(『北 条記』)がある。(永禄5年の政景の初見史料では, すでに梶原を 名乗っている。)
 梶原政景は, 下総国の土豪で柿岡城主であり, 「弓矢打物達者に て, 鬼にも神にも逢ふべき器量」で, 和歌・手跡・早歌・乱舞・馬上・ 鞠など, 諸芸にも秀でていたという(『異本小田原記』)。福性寺の本堂 前に「地名発祥梶原塚」という標石があり, 梶原塚と呼ばれている。
 船方村は, 豊島の7つの村の1つで, 江戸時代に船の組み仲間として 有名な船頭の一族がこのあたりに住んでいたと言われている。
 町の名前が堀船になっても, 梶原という呼び方はこの地に住む人の 愛着や郷愁からか, 梶原○○○と呼ばれているところも多いようである。
      【参考】東京都北区立堀船小学校
         創立70周年記念「わたしたちの堀船」
                  平成3年12月7日

撮影日
2005年10月
碑文
当所地名発祥之処
   梶原塚
当所地名発祥之処 梶原塚 碑 福性寺
当所地名発祥之処 梶原塚 碑
福性寺