発祥の地bannar
三河花火発祥の地
 [みかわはなびはっしょうのち]


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場所
愛知県岡崎市康生町
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愛知環状鉄道・中岡崎駅 あるいは 名鉄・岡崎公園前駅から 東に400m。
岡崎城址のある「岡崎公園」の 竹千代橋の東南端に, 打ち上げ花火の筒を持つ人物の像が載った 「三河花火発祥地」碑が建つ。

岡崎市は徳川家康の生誕の地。
「竹千代」は 徳川家康の幼名で, 岡崎市内では 通りの名前や橋の名前になっており, この発祥碑は 竹千代橋のたもとにあるし, 碑の向い側には 竹千代と小姓の像が建っている。

花火は もともと鉄砲に使用する火薬の平和利用として始まった。
徳川家康は 大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし 徳川幕府の支配体制が確立したことによって, 応仁の乱以来 150年にわたって続いてきた戦国時代は終了したとして, 「元和偃武」を宣言し 天下の平定が完了した事を内外に示した。
「偃武」とは“武器を倉庫に納め 使わないこと”といった意味あいで, 戦争での必要性の薄れた火薬技術は 花火として利用されるようになった。
家康は 各藩の鉄砲・火薬の製造を厳重に制限し, 原則として三河だけに 火薬の製造を許したため, この地方には 砲術・火術の秘法として引き継がれ, これが花火製造・花火師を誕生させ 「三河花火」の形で発展していった。

岡崎の花火は, 江戸時代初期から 菅生神社で煙火祭が行われていたが, 本格的な花火が祭りで使われるようになったのは 18世紀末ごろになってからとされる。 菅生川原で 五寸・一尺の花火が打ち上げられた と記録に残っている。
その後 稲富流・武田流・一光流 などいくつかの流派に分かれて発展し, 更に 祭りに参加する町内ごとに互いの技術を競うことにより, 三河花火の名は全国に広まった。
戦後 昭和25年頃から, 菅生神社の花火と 市の主催する花火大会とが合同で行われるようになって, 毎年「観光夏まつり花火大会」という形で開催されるようになった。

撮影日
2006年12月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
三河花火発祥の地

   三河花火発祥地
  徳川家康公生誕四百五十周年記念
   愛知県煙火組合
   平成六年秋建立

三河花火発祥地碑 竹千代の像
三河花火発祥地 碑
竹千代の像


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