発祥の地bannar
埼玉県名発祥之碑
 [さいたまけんめいはっしょうのひ] 


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場所
埼玉県行田市埼玉
コメント
秩父鉄道・行田市駅から 南東に3km。県立“さきたま古墳公園”にある“さきたま資料館”近くに 自然石で作られた大きな石碑が建つ。
すぐ東側には なだらかな曲線を見せる「瓦塚古墳」が見える。

“さきたま古墳公園”は, 東日本最大の古墳群を中心に整備された公園で,昭和51年に開設され 30万平米の面積がある。
園内には「丸墓山古墳」(日本一の面積の円墳)をはじめ 9基の古墳があり,国の史跡に指定されている。

1871(明治4)年, 廃藩置県によって 埼玉県(県庁所在地:岩槻)と入間県(同:川越)ができた。
1873(明治6)年 入間県は群馬県と合併し 熊谷県と改められた。
(現在の群馬県とは区域が違う。県庁所在地:熊谷)
1976(明治9)年, 埼玉県と熊谷県が合併し 現在の埼玉県になり,1890(明治23)年になって 埼玉県の県庁所在地は 浦和になった。
「埼玉」の地名の由来は 碑文に詳しく書かれている。

コメント
(2014/3 追加)
最近,埼玉県は“さきたま古墳群”の宣伝を活発に行っている。その理由の一つは,この古墳群を世界遺産に登録しようという運動が起きているためらしい。
行田市内を歩くと あちこちに「埼玉県名発祥の地」の看板が見られる。下に JR行田駅で見かけた看板と,秩父鉄道行田市駅前に建つ時計塔の写真を示す。
撮影日
2005年12月 (写真提供 H.O.さん)
2014年3月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
埼玉県名 発祥之碑
   埼玉県知事 畑 和 書

    埼玉県名の由来
 明治4年11月14日, 現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。これが埼玉県の誕生である。以後, 幾度かの変遷を経て,明治9年8月に現在の埼玉県の区域が定まった。「埼玉」が県の名称とされたのは, 当初の県の管轄区域の中で, 最も広いのが, 埼玉郡であったことによる。
 埼玉郡は, 律令による国郡制度が発足した当初から設置された郡とみられ, 当初は前玉(さきたま)郡という表示も行われ, 正倉院文書神亀3年(726)の山背(やましろ)国戸籍帳には「武蔵国前玉郡」の表記が見える。また, 延喜式神名帳にも埼玉郡の項に「前玉神社ニ座」とある。
 ここ行田市埼玉(さきたま)の地は, 巨大古墳群の所在地であり, また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので, ここに碑を建て, 県名発祥の記念とする。
       昭和62年4月
           埼玉県


 
埼玉県名発祥之碑
 埼玉県名 発祥之碑
瓦塚古墳
 瓦塚古墳
埼玉県名発祥之碑
 埼玉県名発祥の地 看板
  @JR行田駅
  (2014/3)
埼玉県名発祥之碑
 埼玉県名発祥の地 看板
  @秩父鉄道行田市駅前
 (時計塔の台座部分に「発祥の地」
  (2014/3)


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