発祥の地bannar
関目発祥之地
 [せきめはっしょうのち] 


場所
大阪府大阪市城東区成育5丁目
コメント
大阪市営地下鉄谷町線・関目高殿駅の南東 150m。
都島通りに面した「関目神社」の 正面入口近くに 茶色の大きな石碑と, すぐ横に 副碑が建っている。

詳しくは 下記の碑文に書かれているが, この辺り一帯は 1976年に新しい住居表示が適用されるまで 「関目」という地名だった。
この地は 平安時代に 近衛家(=公卿。五摂家の一つ) の荘園“榎並荘”であり, 「関目」の 地名も歴史に残っている。
また 大坂城が築城された際に, 豊臣秀吉が城の防備のために この付近の道路をくねくねと 曲がった道にして, 押し寄せる敵の様子が大坂城から見られるようにしたと言われ, “七曲がり”と呼ばれている。この曲がった道路は, 後に「京街道」の一部となり, 現在もその一部が 関目神社の北東50m (都島通りを挟んだ向い側)に 残されている。(地図参照)

撮影日
2006年10月
碑文
関目発祥之地
  城東区長 辻本博書

    由緒
昭和五十一年十一月一日から実施の住居表示により 関目発祥のこの地が生育ならびに中央という 町名にかわったのでこの由緒を永く残すため この碑を建てる
    昭和五十三年十二月吉日
        生育連合旧関目町会
        関目連合会町会

    関目発祥の由来
この地はもと関目といい, 古くは榎並荘の時代から あったもので, 関目というのは, この地に見張所 (目で見る関所)があったことから起ったと言われる。 また, 関目の七曲りとして大坂城の防備に役立っ たという重要な地であった
なおまた明治天皇御駐輦の地として親しまれてきた
    昭和五十三年十二月吉日

    関目の沿革
永久二年   (1114) 榎並荘近衛家所領
天正八年   (1580) 関目神社. 善福寺創建. 関目の七曲り
明治元年   (1868) 大阪府発足. 東成郡に所属. 明治天皇ご駐輦
明治十八年  (1885) 淀川堤防決潰関目村全没
明治四十三年 (1910) 京阪電車開通
大正十四年  (1925) 大阪市に編入東成区に所属
昭和六年   (1931) 京阪電車高架化関目駅できる
昭和七年   (1932) 十五区制により旭区に所属
昭和十五年  (1940) 城北運河完成
昭和十八年  (1943) 二十二区制により城東区に所属
昭和四十九年 (1974) 城東区分区鶴見区できる
昭和五十一年 (1976) 住居表示実施. 生育ならびに中央と町名変更
昭和五十二年 (1977) 地下鉄開通. 関目駅できる

関目発祥之地碑 関目神社
関目発祥之地 碑
関目神社