発祥の地bannar
牛乳発祥の地
 [にぎゅうにゅうはっしょうのち]


場所
静岡県下田市柿崎
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下田湾の北東。海岸から100mほど北東に入った山裾に,曹洞宗の寺・玉泉寺がある。
山門を入ると正面に本堂があり,その前面に「牛乳の碑」と書かれた大きな褐色の四角い石碑が建っている。中央のレリーフには 乳牛と戯れる家族,左上には タウンゼント・ハリスの肖像があって,その両脇に 次のような文章が書かれている。

    牛乳の碑
      農林大臣  河野一郎
 安政五年(1858年)二月米国総領事タウンゼントハリスは政務多忙を極め病床にありました。侍女お吉は ハリスが牛乳を欲するのを知り禁を犯して下田近在から和牛の乳を集めハリスに毎日与えたということです。その時ハリスが十五日間に飲んだ九合八勺の牛乳の代価が一両三分八十八文之は米三俵分に相当したといいますから当時牛乳が如何に高価で貴重なものであったかが分かります。このことが日本に於ける牛乳売買の初めといわれます。爾来百余年牛乳は現在重要な国民栄養食糧として年生産一千余万石に達し酪農事業は重要な国策となりました。乳業の発達は国富の充実と共に前途益々洋々たるものがあります。
タウンゼント ハリスは,
  一八〇四年米国ニューヨーク州に生れ
  一八五六年来日し一八六二年帰国その間
  初代米国総領事として日米親交の基礎を築く
  一八七九年二月七五才で没した
  伊豆は当社創業の地であり且つ下田に工場を
  もつゆかりの地でありますので下田と牛
  乳とを記念して
    一九六二年五月一七日
      森永乳業株式会社
        取締役社長  大野 勇建之

日本に於ける牛乳の飲用の習慣は,非常に古く(奈良時代以前)からあったらしいが,奈良時代に「肉食禁止の令」が出されたため,飲乳の習慣はほとんど無くなった。
牛乳を飲む習慣のなかったこの時代に,実際に毎日牛乳を集める努力は大変なものだったようで,子牛を出産直後の雌牛のいる農家を訪ね歩いて,僅かすつ集めて歩いたもとと想像される。
その努力の一部が,下記の「柿崎村名主与平治・御用日記」からうかがい知ることができる。

日米友好通商条約などにより,外国人が横浜などに居住するようになると,急速に牛乳の需用が高まったが,下田時代のハリスの生活は,日本に西洋式の生活が導入される数十年前のことであり,その苦労は容易に想像することができる。
なお,上記の「牛乳の碑」には,森永乳業の当時の社長が碑文を書いているが,森永乳業は 1919(大正8)年に 下田に「東洋練乳」という会社を設立し,その後「森永乳業」となった。

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撮影日
2010年1月
碑文
牛乳発祥の地 (看板)

ここ玉泉寺は,日本で最初に
牛乳が飲まれたところです。
当時を想いながらおいしい
牛乳を飲みませんか!

牛乳発祥の辞
 
安政五年正月廿一日北風晴天
今午後八ツ時頃上気船江戸表
より上り来当湊入津致候
   註ハリス病気にて帰着

同二月三日
今夕異人御掛り様より被仰
候は牛の乳少々異人所望につ
き下役人二人白浜村へ願遣候

同月四日
昨晩白浜村へ注文致置候牛の
乳五六勺ほど送り来候につき
玉泉寺へ差上候

同月五日
玉泉寺異人掛りより牛の乳
これより日々二合斗りつも
調へ度由被仰候につき白浜村
に遣し候 但し庄八出役

同月六日北風晴天夕方曇
今朝白浜村へ忠右エ門出役牛
の乳少々持参玉泉寺へ差上
候なほ次々も注文致可候や
り被仰候につき久四郎中村
連台寺へ行申候
  以上柿崎村名主与平治
  御用日記より抜粋

  昭和五十年一月一四日
      村上節書


 
牛乳の碑
 牛乳の碑
牛乳発祥の辞碑
 牛乳発祥の辞 碑
牛乳発祥の地
 「牛乳発祥の地」看板と
 「ハリスも飲んだ
  伊豆の牛乳」看板

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