発祥の地bannar
国産ビール発祥の地
 [こくさんびーるはっしょうのち] 


場所
大阪市北区堂島1丁目
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市営地下鉄四つ橋線の西梅田駅南出口から 東に300m。
ANAクラウンプラザホテル大阪の北東側に,3本の道路で囲まれた三角形の島がある。その底辺部分に発祥碑と大阪市の教育委員会が設置した説明板が建っている。

日本におけるビール醸造の歴史については いろいろな記録があるようだが,主なものを整理すると次のようになる。

  • 外国人による自家用醸造:江戸時代後期(1812年),長崎の出島において オランダ商館長のドゥーフによって行われた。
  • 日本人による実験的醸造:江戸末期の1853年に,蘭学者の川本幸民が江戸で醸造実験を行った。
  • 外国人による商業的醸造:1869(明治2)年,横浜に住むアメリカ人・コープランドが「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を設立してビールの醸造製造を開始(後にキリンビールに引き継がれた)
  • 日本人による商業的醸造:1869(明治2)年に,品川県知事・古賀一平が東京・品川にビール工場を建設し,小規模な製造を開始。(採算が取れず間もなく閉鎖)
  • 官営のビール事業:1876(明治9)年には北海道で“北海道開拓使札幌麦酒醸造所”が設立され,「札幌ビール」を発売。(後のサッポロビール)
明治期には 地方の中小企業を含め地ビールのブームが起き,全国で100社近い醸造所が設立された。しかし 1901(明治34)年にビールに酒税が課せられるようになり 規制が強化されたため,中小メーカーは消滅していった。

大阪で日本人の手によってビールが醸造されたのは,渋谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初とされる。
当初は 大阪通商会社で1871(明治4)年に計画されたが 実際に製造には至らず,この計画を渋谷が引継ぎ,1872(明治5)年から この地付近に醸造所を設立して「渋谷(しぶたに)ビール」の醸造・販売を開始した。

日本人による商業的醸造としては,上記のように 品川でのビール工場があったが,短期間に操業を停止しているため比較の対象にならなかったのだろう。
撮影日
2010年1月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
国産ビール発祥の地

澁谷庄三郎は明治五年(1872)からこの地でビールの製造をはじめた。アメリカ人技師の指導を受け日本人の手でつくった初めてのビールといわれている

(説明板)
国産ビール発祥の地
 わが国におけるビールの醸造は幕末に横浜で外国人がおこなっていたが,日本人の手によるものとしては,澁谷庄三郎がこの地で醸造したのが最初といわれている。
 当初は大阪通商会社で,明治四年(1871)に計画された。これは外国から醸造技師を招いた本格的なものだったが,実現には至らなかった。この計画を通商会社の役員のひとりであり,綿問屋や清酒の醸造を営んでいた天満の澁谷庄三郎が引継ぎ,明治五年三月から,このあたりに醸造所を設け,ビールの製造・販売を開始した。銘柄は「澁谷ビール」といい,犬のマークの付いたラベルであった。年間約三二〜四五キロリットルを製造し,中之島近辺や川口の民留地の外国人らに販売した。
                      大阪市教育委員会


 
国産ビール発祥の地碑 「澁谷ビール」ラベル
国産ビール発祥の地 碑
「澁谷ビール」ラベル