発祥の地bannar
馬込半白節成胡瓜・馬込大太三寸人参 発祥之地
[まごめはんしろふしなりきゅうり・まごめおおぶとさんずんにんじん はっしょうのち] 


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場所
東京都大田区西馬込2丁目
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都営浅草線 西馬込駅前に“太田区立ライフコミュニティ”がある。 第一京浜国道に面するこの建物の 北端の歩道の植込みの中に 茶色っぽい自然石で造られた 石碑が建っている。

現代のキュウリの色は 濃い緑色とほぼ決まっているが, 昔のキュウリは 緑が薄く 白っぽいキュウリが普通だった。馬込 と呼ばれるこの付近で生まれた品種 「馬込半白節成胡瓜」は, ヘタに近い部分が淡い緑で 先の方は白い「半白」のキュウリである。 「節成」というのは, 節ごとに雌花が咲いて実がなること。
キュウリは 鮮度が落ちると 白い部分が黄色くなってしまうので, 大消費地に近いこの地域は 生産地として最適であった。 またこの品種の栽培は全国に広がり,東海地方から 遠く九州までタネが販売された。

昭和30年代頃まで ニンジンと言えば, 50センチ以上もある 細長いものが一般的だった。 これに対して 最近のニンジンは 長さが15センチくらいで ずんぐりしたのも主流である。 短いニンジンの草分けが「馬込大太三寸人参」である。
根は長さが10センチくらいで, 先に行くにつれて細くなるが先端は丸い。 鮮やかな朱色で, 香りがよく 柔らかで甘いのが特徴。 馬込大太三寸人参も半白節成胡瓜と同様, タネが全国に向けて販売された。

撮影日
2004年4月
碑文
馬込半白節成胡瓜・馬込大太三寸人参 発祥之地
          高橋正夫 書

(裏面)
    馬込手白節成胡瓜の由緒
 馬込村では, 昔から大井節成が多く栽培されていたが, 明治33年ごろに白い部分 の多い, 独特の性質をもった馬込半白がつくられた, 市場価値も高く, 馬込の特 産品となった。
 馬込半白は, 『つる』の10節位から続いて雌花のつく節成種で, つるの伸びの 柱栽培を開発し確立した。
 大正9年ごろ『大農園』という採種組合が篤農家, 河原梅次郎氏を中心に数軒の 農家でつくられ, その後, 昭和8年には『馬込半白採種組合』が高瀬三次郎氏を 代表として設立され, 品種の保存と均一化に努めた。
 馬込で採種した馬込半白を温暖地の近県をはじめ四国, 九州まで栽培指導した 河原梅次郎氏の功績は大きい。
 馬込半白が, この地で栽培されたのは昭和38年ごろまでである。

    馬込大太三寸人参の由緒
 古来, 馬込の周辺では, 砂村三寸と川崎三寸(西洋種)が栽培されていたが西 馬込の篤農家河原清吉氏らにより, 砂村三寸と川崎三寸を交配して, それぞれの 長所を受け継いだ, 大型で形・色のよい人参に改良され固定された。
 昭和25年, 大森東部農協(組合長 高橋正夫氏)が『馬込大太三寸人参』の名 称で農林省に種苗登録し以後, 馬込の特産品となった。
 農協では農家が採種した種子を買い上げ, 宮内庁の三里塚牧場をはじめ, 全国 に販売した。また, この時期を境に人参栽培は急速に普及した。
 馬込で人参栽培が盛んであったのは, 昭和38年ごろまでで, 農地の宅地化ととも に徐々に減少した。

                大田区のご好意により建立
                平成8年3月吉日 JA東京大森

馬込胡瓜・人参発祥之地碑
 馬込胡瓜・人参発祥之地 碑


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