発祥の地bannar
野田醤油発祥の地
 [のだしょうゆはっしょうのち]


場所
千葉県野田市野田
コメント
東武鉄道野田線の愛宕駅から 南西に400m。
京葉銀行野田支店の南側に 西に入る狭い露地がある。露地の北側に小さな稲荷社があって, その前庭に「野田の醤油発祥地」という黒い石碑(写真[2])と。「野田醤油発祥の地」と刻まれた古い石碑(石柱 写真[1])とが建っている。

どうして2つの碑があるのか 碑文を読み比べてみると, 本来の発祥碑は 写真[1]の方で、写真[2]の黒い石碑は「この地が野田市の史跡に指定された」ことを説明するために建てられた碑であると推定される。

野田で醤油作りが始まったのは 戦国時代末期の 永禄年間のことで、飯田市郎兵衛が“たまり醤油”を作り始めたのが 醤油醸造の最も古い記録あるとされている。発祥碑は その飯田家の亀屋蔵(工場)の跡地に建てられている。

日本における醤油の発祥は 和歌山県の湯浅で、鎌倉時代に 味噌の桶に溜まった汁(たまり)を調味料として作り出したのが最初とされる。
江戸時代初期までは 近畿地方と四国の讃岐などから たまり醤油が供給されていた。しかし たまり醤油は製造から出荷まで3年程の長期間かかり, 生産量が需要に追いつかなくなり、関東では 銚子・野田などで“こいくち醤油”が, 関西では 兵庫県(たつの)で“うすくち醤油”が開発された。
江戸時代, 人口が急激に増加し 大消費地となった江戸の需要を満たすために、それまで海路を船によって運ばれていた関西の醤油にとって代わって江戸川による水運によって 経済的に商品輸送が可能になった銚子と野田での醤油生産が本格化し, 江戸市中の需要を賄うようになった。
銚子では“ヒゲタ印”の醤油が, 野田からは“キッコーマン印”などが出荷された。

醤油メーカーは 戦後の一時期 2000社を超えていたと言われるが, 近年は 大手メーカーによる寡占化が進んでいる。都道府県別のシェアは, 千葉県が35%, 兵庫県が15% (2006年)で, この2県で半分を占めている。主なメーカーは キッコーマン(野田市), ヤマサ(銚子市). ヒゲタ(銚子市),ヒガシマル(兵庫県たつの市), マルキン忠勇(香川県小豆島)など。

(関連項目) 醤油発祥の地   
   汁醤油発祥之地  
撮影日
2007年11月
碑文[1]
野田醤油発祥の地

  昭和二十六年文化の日
  野田市教育委員会

碑文[2]
野田の醤油発祥地

  史跡由来
この地は室町時代永禄 年間に飯田市郎兵衛家 が初めて野田で醤油を 醸造した飯田家亀屋敷 の遺跡である
昭和四十六年一月二十七日 野田市文化財に指定 されている
    茂木啓三郎書


 
[1]野田醤油発祥の地 碑 [2]野田の醤油発祥地碑
[1]野田醤油発祥の地 碑
[2]野田の醤油発祥地 碑

徳寿稲荷神社
徳寿稲荷神社