発祥の地bannar
佃煮創業の碑
 [つくだにそうぎょうのひ]


場所
茨城県行方市粗毛
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JR鹿島線の潮来駅から北西に6km。国道355号に面して上羽神社があり,入口の鳥居と社殿の中間,社殿に向って左側に「佃煮創業記」と刻まれた背の高い石碑が建っている。

佃煮の起源については諸説あるようだが,一般には 徳川家康が江戸に幕府を開いた時に,大坂・佃村から漁民を呼び寄せて 隅田川下流のの中洲を与えて“佃島”の地名をつけたことに始まる と言われる。
ここ粗毛(ほぼけ)の人・奥村吉郎兵衛は,明治初期に東京・佃島に出て佃煮の製法を学び,郷里に帰って 霞ヶ浦で獲れる“ハゼ”などで佃煮製造を試みた。江戸の佃煮が海の小魚で作られたのに対して.吉郎兵衛は それまで肥料にしかならなかった霞ヶ浦の淡水魚を使用し 新しい食品として加工することに成功した。
明治10年に西南の役が起ると,軍用の食料が腐敗する中で 吉郎兵衛の佃煮だけは味が変ることがないため脚光を浴び,その後も佃煮製造は周辺地域に広まり 産業として定着し発展した。

ここ行方市粗毛の上羽(うわば)神社に建つ 佃煮創業の碑は,霞ヶ浦・北浦沿岸における佃煮の創業者である奥村吉郎兵衛をたたえる顕彰碑で,1901(明治34)年に建立された。

撮影日
2010年12月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
佃煮創業記
  (奥村吉郎兵衛の顕彰碑。碑文は長い漢文で,全部を読み取れないため 省略)

上羽神社と佃煮創業の碑
 大巳貴生命と倉稲魂生命のニ柱を御祭神とする上羽神社と稲荷神社の両社が,拝殿の奥に全く同一の神殿様式で並び祀られている。創祀は明らかでないが,大正元年,村社になった。二月初午の日に「おかけ講」が行われ,十一月三日には例祭が行われている。
 境内には,明治三十四年建立の,霞ヶ浦,北浦沿岸における佃煮創業者である奥村吉郎兵衛をたたえる碑などがある。吉郎兵衛はここ粗毛(ほぼけ)の人で明治初期,東京にでて佃煮製法を学び,郷里に帰り,奥村謙蔵の協力を得て「ハゼ」の佃煮製造を試み,これに成功した。明治十年,西南の役が起こると将兵の食糧として脚光を浴び,その後,佃煮製造は周辺に広まり産業として定着し発展した。
                       麻生町


 
佃煮創業の碑
 佃煮創業の碑

上羽神社と佃煮創業の碑
 上羽神社と
 佃煮創業の碑