発祥の地bannar
松浦党発祥之地
 [まつらとうはっしょうのち]


場所
長崎県松浦市今福町
コメント
伊万里市から松浦市に抜ける 国道204号の途中 (松浦市街の少し手前の“道路公園”)に, 松浦党水軍の巨大な兜と それの説明を兼ねた 発祥碑が置かれている。

松浦党は 平安時代から戦国時代にかけて 肥前松浦地方で組織された武士団の連合体で, それぞれの武士団は 早岐氏・伊万里氏・大島氏・五島氏・・・ など 地名を苗字とした。
「松浦党」の名前が記録に現われるのは平安末期からで, 中国や朝鮮との貿易をおこなう かたわら, 九州北西部を拠点とする海賊として怖れられた。 その後 源平合戦・元寇・南北朝の動乱期などでは 松浦水軍を率いて活躍, 勇名を馳せた。
戦国時代に入ると,平戸には ポルトガル船などが入港し 盛んに貿易が行われた。 平戸の松浦氏は 貿易により利益を背景に一族をまとめ 戦国大名として力をつけ, 秀吉による天下統一の時期には 領地を安堵され, 朝鮮出兵から 秀吉の死後の 関ヶ原合戦と続く動乱期にも 巧みに時代を読みきり 近世大名としての地位を得た。
江戸時代に入ると鎖国のために貿易が長崎に奪われたが, 平戸を城下町として 松浦氏の平戸藩10万石を構え, 明治維新まで続いた。

場所
長崎県松浦市志佐町庄野免
コメント
(2012/6追加)
“道の駅松浦ふるさと館”横の国道松浦バイパスの志佐川に架かる橋のたもとに「松浦党発祥の地」と書かれた木製の碑(看板)が建っている。
脇に 松浦党についての説明板が設置されている。33333

「松浦」関連項目 平戸松浦氏発祥之地

撮影日
2006年6月 (写真提供 K.T.さん)
2012年5月 (写真提供 OLDMANさん)
碑文1
松浦党発祥之地と松浦水軍の兜

松浦市は松浦党発祥之地です。
松浦党とは, 中世に海を舞台に活躍した武士団のことで, 嵯峨天皇の子孫にあたる渡辺久(わたなべのひさし)がその始祖といわれています。久は1096年にこの地方を治めるため御厨検校(長官)としてこの地におもむき, 松浦市今福町に梶谷城を築き「松浦」の姓を名のり 定住しました。
松浦党はその活動を万里の海に求め, 交易による大陸文化の摂取にもつとめました。
松浦党の活躍はめざましく, 源平の舟合戦などにも参戦しました。元軍が北部九州に攻め寄せた文永の役と弘安の役では, 目の前の湾内に集結した元軍の軍船に奇襲戦報などで応戦しました。
私達は郷土のロマンと先達者の活躍を誇りにし, その想いをこの兜に託し, 松浦氏の存在を示すものであります。

このモニュメントの参考にした兜は武将用のもので, 実際の舟戦では鍬形(左右の角)は取りはずしていた。
八幡とは, 全国の八幡神社の祭神であり, 武家では軍神として崇め武運長久の祈りをこめて, これを押し立てて舟戦に臨んだのである。
              松浦市観光協会

碑文2
(2012/6 追加)
松浦党発祥の地
     松浦市
     (社)平戸法人会

(説明板)
   松浦党発祥の地
 松浦党とは北松浦半島を中心として海を舞台にに活躍した武士団で,嵯峨天皇の子孫,源久(ひさし)が始祖といわれています。久は御厨(みくりや)検校(長官)として,現在の松浦市今福町に赴き,梶谷(かじや)城を築いて「松浦」の姓を名乗り,以後,久の子孫がこの地方 に拡がっていきました。
 松浦党の水軍はとみに強く,原平合戦にも平家方の主力として参戦しました。また,元軍が北部九州に攻め寄せた「文永の役」と「弘安の役」では伊万里湾内に集結した元軍に奇襲戦法で戦いま した。松浦水軍は村上水軍と共に全国にその名を馳せました。
          松浦市
          社団法人平戸法人会
    社団法人平戸法人会 社団化二十周年記念事業
      平成二十一年二月

 
松浦党水軍のモニュメントと松浦党発祥之地説明板
 松浦党水軍のモニュメントと
 松浦党発祥之地 説明板

松浦党発祥の地 看板
松浦党発祥の地 看板
 @松浦バイパス
 (2012/6 追加)


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