発祥の地bannar
東京大学医学部発祥の地
 [とうきょうだいがくいがくぶはっしょうのち]


場所
東京都千代田区岩本町2丁目
コメント
地下鉄・小伝馬町駅から 水天宮通りを北に300m。“加島ビル”の南東角に
  「江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所」のプレート,
  「お玉ヶ池種痘所」の説明板,
  「お玉ヶ池種痘所跡」の石碑,
の3つが縦に並んで設置されている。
黒くて やや小型であるため 目立たない。

「お玉が池」の名前は 剣豪小説などに「北辰一刀流の道場」として よく出てくる地名だが, 具体的にどこにあるのかは 知らずにいた。
近くの 旧千桜小学校跡(神田東松下町)には, 「右文尚武」と書かれた石碑があり, ここに 千葉習作の北辰一刀流道場「玄武館」と 東條一堂の「瑶池塾」があったことが 書かれている。

「お玉が池」については, 千代田区のホームページに 次の説明がある。

お玉が池      都指定文化財

指定日 昭和17年9月
所在地 岩本町2丁目5番

お玉ヶ池は、古くは桜ヶ池とも呼ばれ、不忍池よりも大きな池であったと伝えられる。二人の男性からの求愛に悩んだ神田松枝町のお玉が身投げしたため、お玉が池と呼ばれるようになったとの伝説がある。『江戸名所図会』にはお玉の霊を鎮るため、お玉稲荷という祠があることを伝えている。お玉が池の界隈には、剣聖千葉周作の道場「玄武館」や漢学者東條一堂の家塾「遙池塾」をはじめ文人墨客が数多集まり、江戸文化の一つの中心地を呈していたともいわれている。

岩本町2丁目5番12号の繁栄お玉稲荷神社脇に千代田区の標柱が、
岩本町2丁目5番9号「ふな亀」入口の壁に「お玉ヶ池種痘所」レリーフが、
岩本町2丁目6番3号「全宅連会館」脇に石碑「東京都指定史蹟お玉ヶ池跡」が、
岩本町2丁目7番12号「加島ビル」脇に「お玉ヶ池と種痘所」のレリーフがある。
撮影日
2005年12月
碑文
江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所
    お玉ヶ池史蹟保存会

お玉ヶ池種痘所跡
  神田お玉ヶ池松枝町続元正眼
  寺前勘定奉行川路聖謨屋敷内
        東京大学医学部

   お玉ヶ池種痘所
お玉ヶ池は徳川初期には不忍池ほど の広さであったのが安政のころには 小さなものになり現在はそのあとか たもなく史蹟としてお玉稲荷が祀っ てあるだけです
一時は池のほとりに
  梁川星巌の玉池吟社
  市川寛斎の江湖詩社
  大窪詩仏の詩聖堂
  東條一堂の瑶池塾
  佐久間象山の象山書院
  剣士千葉周作の道場玄武館
  磯又右衛門の柔道道場
  永坂石■宅 清元太左衛門宅など (■=「土」へんに「隶」)
文武の華が咲きほこりました
この標柱の場所は勘定奉行川路聖謨 の屋敷内に設けられたお玉ヶ池種痘 所があったところで東京大学医学部 発祥の地です 同学部は昭和33年 に迎えた創立百年の記念に昭和36年 文化の日お玉ヶ池種痘所記念 碑と同時にこゝに元標を立てられま した
      お玉ヶ池史蹟保存会


 
東京大学医学部発祥の地碑 「江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所」
東京大学医学部発祥の地
「江戸最初のお玉ヶ池種痘所跡のあった所」

お玉が池種痘所跡碑 お玉ヶ池跡
お玉が池種痘所跡碑
お玉が池跡