発祥の地bannar
北上夜曲発祥の地
 [きたかみやきょくはっしょうのち]


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場所
[1] 岩手県奥州市江刺区愛宕
[2] 岩手県奥州市水沢区真城
コメント
JR東北本線・水沢駅の北 約4km。北上川に架かる“桜木橋”の北詰の小公園に, 「北上夜曲発祥の地」と書かれた 大きな木碑が立っている。 大きなケヤキの丸太の表裏両面を削って 3mほどの高さに切り 「・・・発祥の地」の文字を彫刻して墨を入れた 素朴な発祥碑。(写真[1])

また ここから3kmほど下流の“小谷木橋”の西岸の土手の上にも「北上夜曲発祥の地・詩碑」と 書かれた看板が立っている。この土手下の河川敷には「北上夜曲」の詩碑がある。(写真[2])

「北上夜曲」の作詞者・菊地規氏は 江刺市(現・奥州市)の出身。作曲者・安藤睦夫氏は 岩手県種市町出身。 地元の師範学校に入学した 17歳の菊地氏は, 1941(昭和16)年に この地で「北上夜曲」を作詩した。
師範学校の級友と歌った「北上夜曲」は, 小学校の教師として各地に散った友人たちによって 岩手県の各地に広まった。
戦後 歌声ブームに乗って 作詩・作曲者不明の歌としてヒットしていたが , 1961(昭和36)年に『サンデー毎日』に作者不明の愛唱歌として紹介されたことがキッカケで 作曲者の安藤睦夫氏が原作の名乗りをあげ, 各社からレコードが発売され 映画化されるなど, 一躍有名になった。

“桜木橋”横にある「北上夜曲発祥の地」は,見た感じではそれほど古いものとは思われないのだが, 根本を見ると腐食して 金属の金具で補強してあるのが見える。 裏面には「下川原振興会 老人クラブ建之」と書かれているが, それ以上の由来は不明。
[2]「北上夜曲発祥の地・詩碑」の他, 北上展勝地(北上市立花)にも 北上夜曲の楽譜付きの詩碑が ある。

撮影日
2006年10月
碑文[1]
北上夜曲発祥の地
     下川原振興会 老人クラブ建之
碑文[2]
北上夜曲 (詩碑)
  
      菊地 規
白いやさしい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは
想い出すのは
北上河原の 月の夜
 はるかの昔から 北上の流れは
この地に生まれ育った者を 村や町の
発展を大きな愛の心で見守って来た
 北上夜曲は その者たちの青春の
賦でもある 詩は 教師として初め
て羽田小学校の教壇に立たれた 私
たちの恩師 菊地 規先生によって
風光明媚なこの地で作られ その歌
は一世を風靡した
 私たちは今 49才を記念し
その詩の一節を碑に刻み 憩いの場
に建てて 青春への想いを 古里へ
の限りない愛着と感謝の気持ちをい
つまでも残そうとするものである
 私たちはまた 北上の豊かな流れ
の岸辺に立つ人々に この歌を口ず
さみ心安らいでもらいたいとも願う
    昭和55年4月吉日建立

 空の蒼さと 緑の沃野が展ける中
を 悠久に満ちて流れる母なる川
北上川に寄せる愛はつきない 毎日
通った道 私はこの川の四季から人
生の歓び 哀愁そして哲理を学んだ
河原の詩情に懐かしい想いをこのつき
ない郷愁を常に感じている
            菊地 規

[1]北上夜曲発祥の地碑 旧・桜木橋親柱
[1]北上夜曲発祥の地 碑
旧・桜木橋親柱
[2]北上夜曲発祥の地・詩碑 北上夜曲 詩碑
[2]北上夜曲発祥の地・詩碑
北上夜曲 詩碑

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