発祥の地bannar
津軽三味線発祥之地
 [つがるじゃみせんはっしょうのち]


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場所
青森県五所川原市金木町
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津軽鉄道の芦野公園駅から北に400m。駅から桜松橋(藤枝溜池に架かる吊り橋)に向かう途中に「津軽三味線発祥之地」と書かれた石碑が建っている。
近くには 太宰治の銅像や文学碑などもある。

津軽三味線は,青森県の津軽地方で発達した三味線音楽で,バチを叩きつけるように弾く打楽器的奏法と 速いテンポの曲が特徴。
明治時代に 津軽地方で“ボサマ(坊様)”と呼ばれる盲目の旅芸人が,家毎の軒先で三味線を弾き 金や食料をもらって歩く“門付け(かどづけ)”の芸として始まった。

津軽三味線の始祖といわれる“仁太坊(にたぼう)”は金木(五所川原市)の生まれで,幼くして天然痘にかかり生死をさまよった末に失明してしまった。さらに子供時代に両親を失って天涯孤独となった。
彼は生きるために門付けを行い,毎日の糧を求めて三味線を弾き歩いた。他のボサマより目立つために,より大きな音・派手な技を追求するようになり,やがて“叩き奏法”を編み出して 自分の三味線芸を創り上げていった。
弟子達にも“人真似でない自分の三味線”を弾くという芸哲学が伝えられ,弟子の一人・白川軍八郎が“曲弾き”(三味線の独奏で曲芸のような弾き方)を編み出した。

昭和40年代の民謡ブームで 津軽三味線は一世を風靡し,それまで単に“津軽もの”などと呼ばれていたこの“ボサマ三味線”は『津軽三味線』と呼ばれるようになった。
本来は単なる伴奏楽器として演奏されていたものが,やがて三味線のみで演奏する“前弾き”が独奏として独立し,合奏団形式のコンサートが演じられるようになり,独奏楽器として吉田兄弟等の演奏家が台頭してきた。

撮影日
2012年5月 (写真提供 K.T.さん)

 

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