発祥の地bannar
立正佼成会発祥之地
 [りっしょうこうせいかいはっしょうのち] 


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場所
東京都杉並区和田1丁目
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地下鉄丸ノ内線 中野富士見町駅から 西に300m。“佼成行学園”の向かい側に「立正佼成会・ 発祥の地修養道場」との表札が掲げられた門〔写真(1)〕がある。ここが「立正佼成会発祥の地」で, 境内の奥に 庭野開祖と長沼脇祖の銅像とならんで 発祥の地記念碑〔写真(2)〕 が建てられている。

この周辺(杉並区和田1・2丁目)は 立正佼成会の本部関連施設が数多く建っていて, あたかも“立正佼成会タウン”の感がある。 行学園・看護専門学校・教育研究所・中央学術研究所・普門館・大聖堂・ 法輪閣・団参会館・佼成学園・・・などなど。 普門館は 全国吹奏楽コンクールが行われることで有名になった。

撮影日
2004年11月
碑文(1)
立正佼成会発祥之地

(説明板)
  立正佼成会発祥の地
 脇祖さま(妙佼先生)は「汝がこれより住居を定める地は和田本町である。住居とする家はすでにその地にある」とのご神示をうけ, 昭和16年9月, 当時, 杉並区和田本町の畑の中に建っていた平屋建ての一軒家(21坪)におすまいになられました。その家が「妙佼殿」です。間取りは, 八畳, 六畳, 四畳半, 三畳で, 八畳間は「ご宝前」の間, 六畳は妙佼先生の居室, 四畳半は幹部の詰所, 三畳は玄関として使われていました。その頃信者さんが激増して, この境内に参拝者が毎日沢山いらっしゃって身動きならぬようになって参りました。
 昭和16年11月5日, 「妙佼殿」にて御命日のご供養の席上, 道場建設が満場一致で発願され, ご神示を仰ぎますと, 「何をいまごろまで, ぐずぐずしているのだ。早く手配をしないと建てられなくなるぞ。」という, ご託宣をいただきました。すぐさま, 脇祖さまの新居の隣接地を購入, 現在の「発祥の地」の敷地(境内)が確保されます。11月8日に地鎮祭が挙行, 建設が開始されます。昭和17年5月7日, 真夜中の12時から1時の間に, 中野区神明町36番地の開祖さまのご自宅から, 御旗・御守護尊神が遷座されます。本会最初の本部道場落成を迎えるに至り, 同時に改組さまの妻子が, この本部道場に住まわれることになります。現在の「発祥の地記念碑」の場所で坪数25坪の本会最初の拝殿となりました。そしてこの年, 新築になった本部道場で, 横須賀の植松喜久氏が初の体験説法をされています。  その後, 昭和20年11月15日には, 本部道場のご宝前に「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」が尊牌形式で勧請されます。
 また, この境内には, 会員激増のために「本部道場」とは別に, 昭和23年12月28日に「新本部修養道場」の入仏式が挙行され, 修行精進の対象として, 日蓮上人図顕の〈大曼陀羅〉が勧請されています。そして, 明けて昭和24年1月28日, 「修養道場」の落成式が行われます。これが現在の120畳の「立正佼成会発祥の地修養道場」です。
 このように, 会草創期には, 昭和16年「妙佼先生のお住まい(妙佼殿)」, 昭和17年に最初の「本部道場」, 昭和24年「修養道場」と, 宗教施設が整い, 信者さん達は, 毎日のようにご法を求めて参拝され, 幹部さんからご指導をいただいていました。
 昭和26年には, 第二修養道場の落成をうけて「修養道場」の名称を「本部拝殿」と変更し, 昭和39年の大聖堂落成後は「旧本部」と呼称し, 昭和63年の創立50周年から「立正佼成会発祥の地修養道場」と呼ばれています。
 なお, 最初の25坪の「本部道場」の建物は, 昭和26年10月に佼成霊園に移築されています。

発祥の地修養道場
 (1)発祥の地修養道場 入口
立正佼成会発祥之地碑
 (2)立正佼成会発祥之地 碑

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