発祥の地bannar
浩々洞発祥之地  [こうこうどうはっしょうのち] 


場所
東京都文京区本郷6丁目
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本郷通りの“東大正門前”から 北西に150mほど入った所に, 「求道会館」がある。 レンガ壁に正面の石柱など ヨーロッパ風の石造りの, 不思議な印象の建物である。
求道会館に向かって左側の隅に「浩々洞発祥之地」と刻まれた石碑と その説明板が建っている。

浩々洞は 清沢満之によって開かれた 修養所。
清沢満之は 浄土真宗大谷派の僧で, 東大で宗教哲学を専攻し 宗門の改革を唱えた。 1900(明治33)年, 東京本郷のこの地に 暁烏敏等 若い学徒数名と共に共同生活を送り, これが「浩々洞」と呼ばれた。雑誌『精神界』を発刊するなどの活動を行い, 創造的な人間の文化を築こうとした。
1901(明治34)年 真宗大学(後の大谷大学)が 東京に開設されると 初代学長(学監)となった。

求道会館の建物については 以下の説明文が掲示されている。

東京都指定有形文化財(建造物)
  求道会館 一棟
          所在地 文京区本郷6丁目20番5号
          指定  平成6年3月22日
 浄土真宗大谷派の僧侶であった 近角常観(1870〜1941)が, 大正4年(1915)11月に, 広く公衆に向けて信仰を説く場として建築した建物である。 設計はヨーロッパ近代建築を学び その日本への定着を試みていた 建築家 武田五一(1872〜1938)であった。
 建物の規模は地上2階, 建築面積307.470平方メートル。 レンガ造りで, 屋根は石綿板葺きである。
 建物の内部正面には 純和式の白木造りで 銅板葺屋根の六角堂が配され, その後方の壁面に 大アーチの石膏レリーフが描かれている。 一階は木製の長椅子式, 二階はギャラリーで 畳敷に会衆が参列する形式である。 また「床の間」付の畳敷の小会堂もあり, 様式に和式の要素を取入れ, 独特の内部空間をつくりあげている。小屋組は, 木材を用いて 鉄骨式に組み立てた当時の最新式の構法であり, この小屋組は日本最初の試みである。
 本建築は, ヨーロッパの教会堂の空間構成を基本的に踏襲しながら, 要所に 伝統的な日本の社寺建築のモチーフを用いた 独特な様式を伝えるとともに, 当時の最新式の構造を有する建造物で, 建築家 武田五一の円熟期の代表的作品の一つに数えらえている。
  平成6年12月20日 建設
              東京都教育委員会

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撮影日
2003年12月
碑文
浩々洞発祥之地

   「浩々洞発祥之地」記念碑
 明治中期, 近角常観師の活躍に対して, 当時の東本願寺新法主・大谷光演(彰如)師が, この地(本郷森川町)を贈られた。
 その後, 常観師が本山の命で西洋事情視察に渡欧することになり, 折しも新法主教育 と, かねての悲願であった真宗大学東京移転を実現するために, 東京にでた清沢満之師 は, ここを借りて生活を始められた(1899年6月・満之37歳)。
 そこに, 学生が寄宿して「浩々洞」という名の共同体が生まれたのである(1900年月)。 そこから, 雑誌『精神界』が発刊された(1901年1月)。
 常観師が帰国されて(同年6月), 浩々洞は本郷東片町へ移転したのだが, この地が, 浩々洞発祥の記念すべき地なのである。
    2002年6月  建之

浩々洞発祥之地碑 求道会館
浩々洞発祥之地 碑
求道会館


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