発祥の地bannar
金沢大学誕生の地
 [かなざわだいがくたんじょうのち]

場所
石川県金沢市丸の内
コメント
JR北陸本線の金沢駅から 南東に2km。
金沢城公園の石川門から入って右手の“入口休憩所”前に「金沢大学誕生の地」と刻まれた平板状の石碑が置かれている。
また そのすぐ近くには,この地に金沢大学があったことを示す「学は以て已むべからず」という石碑が建っている。

金沢大学は戦後の学制改革により,金沢市内にあった 旧制第四高等学校・金沢医科大学・3つの師範学校・金沢工業専門学校などを統合して,1949(昭和24)年に新設された大学。発足当時は 6学部を有した。
キャンパスは,金沢城址にあった旧陸軍施設(第8師団司令部.歩兵七聯隊など)を改修して,ここを“丸の内キャンパス”(城内キャンパス)として使用し,工学部・医学部・薬学部を除く全学部がここに配置された。

丸の内キャンパスは 加賀藩時代の建造物である石川門を正門とし,自然と歴史の調和した良好な環境で市民にも親しまれたが,手狭になったため,角間地区(この地より南東に5q)に移転することとなり,1994(平成6)年までに丸の内キャンパスからの移転が行われ,2005(平成17)年には 医学部を除く全学部の移転が完了した。
移転後の跡地は整備されて“金沢城公園”となっており,2010年に「誕生の地」の碑が建立された。

コメント
(2012/12 追加)
2011年11月,金沢市内“武蔵”交差点近くの金沢彦三郵便局前に「金沢大学発祥の地」という石碑が建てられた。

ここは 旧加賀藩の“金沢彦三種痘所”があった場所とされる。
金沢大学医学部の前身(旧制)金沢医科大学のルーツはこの彦三種痘所であるとされ,その跡地が彦三郵便局の敷地内であることが特定され,金沢大学創基150年を記念して この碑が建立された。
「金沢大学誕生の地」は,旧制第四高等学校などいくつかの学校を統合して 国立大学としてスタートした場所,「発祥の地」は 各学部の中で最も歴史の古い医学部の出発の場所である。

種痘(天然痘の予防接種)はイギリスの医師・ジェンナーが 1796年に牛痘を用いて開発した,安全な予防法として有名。
日本では 九州秋月藩・京都・大阪,次いで江戸などで種痘が行われるようになり,ここ加賀藩での種痘所開設は1862年で,江戸に遅れること4年後のことであった。
この種痘所は その後「卯辰山養生所」「石川県金沢医学館」「石川県甲種医学校」「第四中学校医学部」「第四高等学校医学部」「金沢医学専門学校」「金沢医科大学」と変遷して,現在の金沢大学医学部となった。

撮影日
2012年9月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
金沢大学誕生の地

 金沢大学は昭和二十四(1949)年五月三十一日、旧制の金沢医科大学、同附属薬学専門部、金沢高等師範学校、第四高等学校、金沢工業専門学校、石川師範学校及び石川青年師範学校を前身に、ここ金沢城跡をメインキャンパスとして設置された。
 爾来四十六年、平成七(1995)年二月十六日、最後の部局が角間キャンパスに移転するまでの間、この城内には法文学部(のちの文学部、法学部及び経済学部)、教育学部、理学部、薬学部生薬学教室、教養部、附属図書館及び大学本部(事務局、学生部)が置かれ、幾多の有為な人材を輩出した。
 この地に金沢大学が誕生し、我が国有数の国立総合大学として発展したことを記し、碑を建立する。
   平成二十二(2010)年十一月六日
        国立大学法人金沢大学

碑文
(2012/12追加)
彦三種痘所跡地
7a11 金沢大学発祥の地

当時恐るべき災厄であった天然痘を種痘により未然に防ぐため,加賀藩は1862(文久三)年三月に彦三種痘所を開設し 黒川良安 津田淳三 大田美農里 高峰元稑 鈴木儀六 伏田元幹ら計二十五名の医師がこれに参画した 彦三種痘所はこの地に存在したと推定され 卯辰山養生所金沢医学館 石川県甲種医学校 第四高等学校医学部 官立金沢医科大学 国立金沢大学へと続く系譜の淵源となった
                  2011(平成二十三)年十一月 国立大学法人 金沢大学


 
金沢大学誕生の地 碑
金沢大学誕生の地 碑
「学は以て已むべからず」碑
「学は以て已むべからず」碑
金沢大学発祥の地 碑
金沢大学発祥の地
彦三種痘所跡地 碑
金沢彦三郵便局.車の陰に発祥碑
金沢彦三郵便局
車の陰に発祥碑が見える