発祥の地bannar
高千穂学校発祥の地
 [たかちほがっこうはっしょうのち] 


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場所
東京都新宿区新宿7丁目
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都営地下鉄副都心線の東新宿駅から 東に200m。
明治通り・大久保通り・抜弁天通りに囲まれた一角の ほぼ中心。周囲をグリーンヒル新宿・新宿第一/第二コーポなどの大型マンションに囲まれて“東大久保児童遊園”がある。児童遊園の西端に「高千穂学校発祥の地」と記された白い石碑が建っている。

「高千穂学校」は 現在の「高千穂大学」の前身で,設立は1903(明治36)年。1999(平成11)年までは「高千穂商科大学」という名称だった。
創立者の 川田鐡彌は,東大を卒業後文部省に入り 陸軍幼年学校の教官・東京専門学校(現・早稲田大)の講師を勤めた。10年間の教師経験から 一貫教育の重要性を認識して“高千穂尋常小学校”を創立。その後12年間をかけて 幼稚園・中学校・全国初の私立立高等商業学校を創立して,一貫教育を行う総合学園を完成した。

創設時から少人数で家族的な教育を目指し 上流階級の子弟が学ぶ名門校であったが,戦災により新宿の校舎を失い,杉並に移転。
戦後の再建期に創設者の川田が死去し,その後の後継者争いの間に 学校経営上の問題がおこり,大きな混乱が生じた。さらに 少年非行が社会問題化した時期に高校の荒廃が表面化し,やがて小・中・高校は生徒数の確保が困難となり,相次いで休校となった。
この状況を憂慮した卒業生有志が中心となって経営体制の刷新がはかられ,商科大学を中心とした学園の再建が行われた。

沿革  1903(明治36)年 川田鐡彌が この地(豊多摩郡大久保村字高馬)に「高千穂学校」を創立し「高千穂尋常高等小学校」を開校。
   1914(大正3)年 「高千穂中学校」を開校。また豊多摩郡和田堀内村字大宮(現・杉並区)に「高千穂高等商業学校」を開校。これは 国内初の私立高等商業学校であった。
   1944(昭和19)年 高千穂高等商業学校を「高千穂経済専門学校」と改称。
   1945(昭和20)年 東京大空襲により校舎焼失。
   1946(昭和21)年 杉並区大宮町(高千穂大学の現在地)に校舎を移転。
   1950(昭和25)年 新学制により「高千穂商科大学」となる。
   1963(昭和38)年〜1973(昭和48)年にかけて,高千穂小学校・高千穂中学校・高千穂高等学校が休校となる。
   1966(昭和41)年 法人名を「高千穂学校」から「高千穂学園」に変更。
   2000(平成12)年 大学名を「高千穂大学」と改称。

撮影日
2010年11月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
高千穂学校発祥の地

   明治36年(1903年)
   土佐の人 川田鐡彌ここに高千穂学校を創立する


 
高千穂学校発祥の地碑 東大久保児童遊園
高千穂学校発祥の地 碑
東大久保児童遊園



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