発祥の地bannar
稲荷木小学校発祥之地
 [とうかぎしょうがっこうはっしょうのち] 


場所
千葉県市川市稲荷木3丁目
コメント
JR総武線・本八幡駅から南に 1.5km。
現在の市川市立稲荷木小学校から 京葉道路を挟んで 300m南に, 「稲荷木小学校発祥之地」と刻まれた 丸い自然石の記念碑と その近くに黒御影石の副碑が建っている。

市川市は 京葉道路の江戸川大橋より東側で, 江戸川によって南北に分断されている。 江戸川は 1910(明治43)年に起きた大洪水を契機に, 江戸川放水路(現在の江戸川本流)を開削したため, 南北にわけられたこの一帯(当時・行徳町)を相互につなぐ道として 行徳橋が架設されたものの 非常に不便で, 生活圏は完全に南北に分断されてしまった。

児童の教育の面では, それ以前は 河原(江戸川放水路の南側の地区名)に 地域共通の小学校があったものの, 生活圏の分断により放水路北側地区からは通学できなくなり, 1916(大正5)年に この地に 行徳町立行徳小学校の分教場が開設され, 1952(昭和27)年 現在地(稲荷木1丁目)に 校舎を新築して移転。
その後、行徳町が市川市に合併されたため, 1956(昭和31)年に「市川市立稲荷木小学校」として 新しくスタートした。

撮影日
2007年6月
碑文
稲荷木小学校発祥之地
  市川市長 高橋国雄 書

(副碑)
    由来
 当地域は利根水系デルタ地 帯で古来幾多の洪水高潮に襲 われ江戸時代から治水対策が 実施され, 特に大正九年に完成 した江戸川放水路の開削は治 水事業上特筆されるものである。
 明治六年河原に開設された六 合小学校(稲荷木大和田河原下新 宿上妙典下妙典)は放水路開削の ため分散しこのため大正五年 此の地に行徳小学校分教場(二教 室四学年複数学級)が開設された。
 昭和二七年四月稲荷木一丁目 十四番に行徳小学校分校として 新築移転。三一年四月市川市立 稲荷木小学校となり現在に至る。
  昭和六十一年十一月吉日

   本記念碑は稲荷木小学校創立三十
  周年を祝し 併せて子ども達の健全
  に成長されんことを祈り 往時の教
  えの場を後世に残すべく, 稲荷木の
  教場修了生有志一同相集い合い 開
  係機関の協力を頂き, 建立せしもの
  である。
    発起人   (氏名省略)

稲荷木小学校発祥之地碑 同 副碑
稲荷木小学校発祥之地 碑
同 副碑