発祥の地bannar
深大寺小学校発祥の地  [じんだいじしょうがっこうはっしょうのち] 


場所
東京都調布市 深大寺元町5丁目
コメント
深大寺 (天台宗別格本山) の 不動堂西側から, 深大寺小学校の裏を通って 青渭神社に通じる 細い坂道 (多聞院坂) の上り口に この碑が建っている。
撮影日
2002年3月
碑文
深大寺小学校発祥の地

 「邑ニ不学ノ戸ナク 家ニ不学ノ人ナカラシメン」 明治5年(1872)8月に発布された 学制令は, わが国の 近代的学校制度の基本となるもので, その目的は すべての国民を教育しようとするものであった。
 この地でも, いち早く学校設立の運動が起ったが, 当時の村にとって ただちに学校を建て, 教育の仕組をかえることは, 経済的にも行政的にも 容易なことではなかった。 このような情況の中で, 村人有志の努力により, 従来の寺子屋を改変して 学校は徐々に設立されていった。

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 深大寺小学校は, 明治5年の学生令にもとづき 深大寺村戸長 富沢松之助と 浅田権蔵等村内有志がはかり, 深大寺の末寺であった 多聞院の建物を借りて, 明治6年(1873)に設立された。 このあたりが 多聞院のあった場所であり, 深大寺小学校発祥の地である。 この地つづきに建つのが現在の深大寺小学校である。
 開校当時は, 「弘道学舎」と称し, その後, 「■■学舎」と改称され, 「深大寺学校」という名に改められたのは, 明治8年のことである。 開校当時の生徒数は, 男子43名, 女子16名で, 職員は3名であった。 深大寺, 佐須, 柴崎の三村を学区としたという。

(■=写真不鮮明で読み取れず)

深大寺小学校発祥の地  深大寺小学校発祥の地