発祥の地bannar
東洋大学発祥之地
 [とうようだいがくはっしょうのち]

場所
東京都文京区湯島4丁目
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東京大学の南側の出入口が 竜岡門。その100mほど東側にある 麟祥院 の 山門を入って すぐ左手に, 茶色の自然石に「東洋大学発祥之地」と刻まれた碑が建つ。

1887(明治20)年 井上円了が この地(麟祥院内)に 私立哲学館を創設。 「哲学館大学」の名称を経て, 1906(明治39)年 「東洋大学」と改称。
現在は 白山(文京区), 朝霞(埼玉県), 川越(埼玉県), 板倉(群馬県) の4ヵ所に キャンパスがある。

麟祥院は 春日局の菩提寺として有名。境内に 文京区による説明板が建てられている。

春日局 (かすがのつぼね)

 幼名は福, 父は明智光秀の重臣 斎藤内蔵助利三, 母は 刑部少輔越智道明の女で, はじめ 稲葉佐渡守正成の妻と なり, 正勝, 正定, 正利の三子をもうけましたが, 慶長 9年(1604) 三代将軍家光公の乳母として召出され 3000石を賜わりました。
 家光公が将軍職に就くため献身的な活躍をし, 大奥の 制度の確立に尽くしたことは有名です。
 寛永5年 家光公25歳の折, 疱瘡にかゝられ, 諸医 の手当てにも験(しるし)がなかった時, 局は斎戒沐浴して 東照大権現の神前に詣で, 「将軍の病が平癒したら 今後私が病気 になっても絶対に薬を服用しません」と祷(いの)りました。
 その忠誠心に感応してか, 日ならずして家光公の病気 が快復しました。そのため局は身の終る迄 鍼灸薬餌を一 切用いなかったと言うことです。
 寛永6年京都へ上り 御所へ参内し, 春日局の号を賜わ り, 後水尾天皇より天盃を頂戴しました。同9年再び 台命により上洛し, 明正天皇より従二位に叙せられまし た。寛永20年(1643)9月14日 65歳で卒し, 当院墓地に葬られました。
                       文京区
撮影日
2004年3月
碑文
東洋大学発祥之地

明治20年(1887年)9月16日
井上円了は民衆に教育の機会を開放し
かつ哲学を中心とする教育を行うことを
目的として, 東洋大学の前身である哲学館を
この地に創立した
   昭和62年9月16日
       東洋大学創立100周年記念建立

東洋大学発祥之地碑 麟祥院 山門
東洋大学発祥之地 碑
麟祥院 山門