bannar
法神流伝来碑
 [ほうしんりゅうでんらいひ]


発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。
個別の移転先ページのリンクは、このページの下部をご覧ください。

場所
群馬県渋川市赤城町深山
コメント
JR上越線の津久田駅から 東に約5km。
県道157号(赤城山敷島停車場線)を東に進み,“深山”交差点から更に東の“深山バス停”近くに “双永寺”がある。寺の裏側に“金山宮”という小さな神社がある。
神社の石段下に「法神流伝来碑」と刻まれた 高さ2.5mの大きな石碑と, 「新法神流伝来碑」という 高さ90cmほどのやや小型の石碑が並んで建っている。

剣法“法神流“がこの地に伝来した由来は 下記の碑文で明らかだが, 新旧二つの碑があるのは 以下のような事情がある。
江戸時代の末期,この地に楳本法神(うめもと ほうしん)という仙人のような不思議な人物が滞在し, 独自の剣法「法神流」を広め 弟子は一時1000人を超えたといわれ,多くの傑出した後継者が続いた。 昭和に入ってからも数度の天覧試合で優勝者を出すなどで注目された。
伝来碑は 明治時代中期にこの地に建立されたが,1947(昭和22)年に 大水害のため流失してしまった。 これを惜しんだ有志が,1991(平成3)年に 拓本から旧伝来碑を写して再建し,同時に理解を深めるために 新伝来碑を建立した。

金山宮は 目標物が少なく,非常にわかりにくい場所にある。本来は南側の川の対岸から車で入る道があったのだが, それがわからず,隣の双永寺で聞いて徒歩で入り,相当の時間を浪費する結果になった。

なお,金山宮の手前(西に1.2km)の“深山”交差点には,「兵法 法神流剣術発祥之地 深山入口」と書かれた 石標が建っている<写真下>。“平成3年12月 法神流伝来碑建立委員会”と書かれており, “この先に伝来碑がある”という案内碑らしい。

撮影日
2008年10月
碑文1
法神流伝来碑 (原漢文※)

      従一位勲二等公爵近衛篤麿篆額
 物の後世に伝わるや必ず其の人を得て伝わる焉,其芸に於て其術に於て人を得るに非ずんば,即ち伝わること能はず。難い矣哉其人を得ることや。粤に原法神流剣術の伝わるや往昔音住なる者あり焉かつて神仙に値うて其術を伝う音住これを以て是を石坂保重なる者に伝う。保重富樫政親に伝う政親政持に伝う政持政好に伝う。政好知菊に伝う知菊政高に伝う政高白生翁に伝う 各諱は政武氏は富樫白生其の通称なり其先は鎮守府将軍藤原利仁後胤となす。子孫鎌倉氏に仕え数世の後加賀候に仕う世々禄千石を喰みて政武に至る政武年甫めて十五天下を歴遊し諸名家の門を叩いて其術を試みるに敵するものなし其余諸技に通ず。是を以て名声を普く聞こゆ常に慷慨の志を懐いて王室の式微を歎じ更に藤井右門と称し専ら英傑の士と交わり将に以て為すあらんとし事未だ成らずして縛に付く然りと雖も其挙たるや至誠より出たるを以て天之を憐れみ逃るる事を得たり即ち跡を奥羽に隠して楳本法神と称し遂に此地に来って老を養う。 傍ら医を好み治を乞う者あれば即ち薬を与うるに功を奏せざるなし。其の為す所稍常と異なれリ故に神仙を以て称せらる。癸天保元年庚寅に没す。其の生まれたる寛文三年葵卯を距る年を得る事百六十有八なり。大徳は必ず其の寿を得ると蓋し亦翁の謂なるか明治二十四年十二月十七日正四位を贈らる。須田房之助なる者あり姓は源諱は為信弱冠にして深く武芸に志し翁に師事して其の蘊奥を極む名声都鄙に籍甚たり門に入る者多し嫉妬の輩陽に謀って将に之を撃たんとす。力敵せず終に銃殺に遭う時に天保二年辛印季春なり享年四十有二男なし。勝江玄隆なる者為信の遮弟なり医を翁に学び剣を為信に習う故を以て其名の後世に朽ちんことを恐れ同門の諸氏と相議し力を合わせ正に石に勒して金山祠側に建てんとす。嗚呼其芸其術其の人を得て伝うることを得後世又其の人を得て之を伝えなば庶幾夫れ永く朽ちざるなり。銘に曰く
  藝成切磋 術熟琢磨 武之爲道 自利利他 于治于乱
  古往今來 與文併稱 其徳偉哉 傳來後世 不得其人
  其術亦廃 通鬼通神 有如翁者 芸術傳眞
     正二位勲一等伯爵東久世通禧

(※注 原文は漢文。写真で判読できない文字が多かったため 省略。
代わりに読み下し文を表記。読み下し文は こちら による。)
碑文2
新法神流伝来碑

剣聖上泉信綱戦国の末兵法新陰流を創始武名天下に香し高弟に 奥山休賀斎な る者あり 徳川家康の剣師となる 晩年三河明神に隠棲して神僧となり 音寿(住)斎と号す 高弟に右坂保重なる者あり その奥旨を得て諸国を歴遊す 行きゆ きて加賀国に至る 名族富樫氏あり 当主政親頻りにその術を乞う 保重遂に その秘剣を政親に伝う 政親より五伝して白生政武に至る 政武天稟の資あり 若年にしてその剣技父師を凌駕す 剣名四隣に高し 政武故あって姓名を楳本 法神と変え諸国を遊歴する 術を試みるに敵する者なし 世人今牛若という 長崎に至りて医術を学ぶ 翁寛政初年の頃赤城山麓にその勇姿を現す 白髪痩 躯その歩行さながら翔ぶが如し 入神の剣技と槍法 救世の医療 村人赤城の 神仙として崇め敬慕す その門に学ぶ者千余 法神流と称す 翁文政十三年に 没す 享年百六十八才と伝う 門人中傑出せるは須田房之助なり 諱 為信通 称深山の房吉と称す 金山宮下に生る 躯幹長大にして剛力無双なり 天賦の 才あり刻苦遂に当流の蘊奥を極む 江戸に道場を開く その剣技江都に於て右 に出ずる者なし 遺恨の輩あり 難を逃れて故山に帰る 奥利根追貝の星野家 に入り道場を開く 剣名利根一円を圧す 隣村薗原に神道一心流の剣客某あり 競合の上争点を生ず 某の剣技房之助に遠く及ばず即ち欺騙して銃殺す この 時房之助四十二才天保二年三月の事なり 惜しいかな 房之助の義弟箱田の住 人森田与吉郎その跡を継ぐ 剣弟に町田寿吉なる者あり 世人法神流の三吉と 称せり 森田の高弟に根井行雄 須田平八あり森田門の竜虎となす 平八また 書技に秀で至妙の筆跡今にあり 根井の高弟に持田善作なる者あり 次男持田 盛二天稟の才にして幼童より法神流を学ぶ 後に剣道範士となり昭和四年昭和 天皇御即位記念天覧試合に優勝す これより法神流の盛名天下に鳴る 門人に 野間恒なる者あり 昭和九年天覧試合に優勝 また門人望月正房昭和十五年天 覧試合に優勝せり 斯る事例は全国にその比を見る事なし その栄光万世に燦 たり、嗚呼偉なるかな法神流の流れや 郷土の心の遺産これに優るものなし 然れども 流れうつり行く星霜の中に この偉大なる道業の忘失せん事を恐る ここに士人相寄り相集い相議し 浄財を募り吉日を卜として法神流発祥の地金 山宮の神域に文を石に刻み碑となすは是後人奮起の資となさんが為なり
   平成三年五月吉日
     前橋市表町 富山流居合道範士 諸田政治 撰文
                    都丸芳雄 書


 
(旧)法神流伝来碑碑 新法神流伝来碑
(旧)法神流伝来碑碑
新法神流伝来碑

法神流発祥之地 案内碑
法神流発祥之地 案内碑

移転先 http://840.gnpp.jp/hoshinryu/