発祥の地bannar
観海流発祥地
 [かんかいりゅうはっしょうち] 


場所
三重県津市柳山津興
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JR紀勢本線の阿漕駅から北東へ約2km。 阿漕浦の北端にある津ヨットハーバーを眺める様に「流祖宮先生像」が建っている。
この像の下に「観海流発祥地」の文字が書かれている。また発祥碑のそばに 津市教育委員会による 観海流の説明板が設置されている。

「観海流」は伊勢湾を中心に発達した 日本古流泳法。幕末の19世紀半ばに,宮発太郎信徳によって 津の藤堂藩に導入された。
観海流の泳法全体を“泅水術(しゅうすいじゅつ)”と呼ぶが,泅水とは 水上を上手に浮かび泳ぐことを意味する。 その基本の泳ぎ方は 蛙足の平泳ぎであり,陣太鼓を打ち鳴らし 掛け声勇ましく遠距離を集団で遠泳することが 観海流の特徴である。

発祥碑の横に設置された説明板には,次のように書かれている。

津市指定無形文化財
  泅水術(しゅうすいじゅつ) 観海流
          江戸時代 昭和32年6月10日指定
 この泳法の開祖は,武州忍藩(現在の埼玉県行田市)の浪人宮発太郎信徳で,諸国を巡るうちに水泳術を習得し,幕末の嘉永5年(1852)に藤堂藩へ来藩した。その時,家老藤堂高克(たかよし)によってその水泳術が高く評価され,藩校有造館(ゆうぞうかん)の教科の1つに取り入れられて阿漕(あこぎ)浦で教えられるようになった。観海流の名も藤堂高克がその泳法を評して「海を観ること陸の如し」と詠んだことにより名づけられた。宮発太郎は山田省助とその弟の種村順次郎に免許皆伝を与えた後,津藩を去った。
 観海流は,疲労が少なくいつまでも静かに泳ぐことができる。初代家元となった山田省助には,ここ阿漕浦から泳いで伊勢湾を横断し,知多半島の常滑で味噌を買い,頭にしばってまた泳ぎ帰ってきたという話が伝わっている。泳ぎ方としては,かえる足の平泅(ひらおよ)ぎを基本泳法とし,太鼓による長距離団体泳法を特徴としている。業前(わざまえ)として,一つ拍子抜手,三つ拍子抜手,半身泅(かたみおよ)ぎ,浮身などがある。
 明治4年(1871)廃藩置県によって他の武術ともども指導の場を失ったが,明治11年(1878)に道場が再開され多くの子弟が育っていった。現在,毎年1月に寒中水泳を行っている。
               津市教育委員会

撮影日
2010年5月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
観海流発祥地
   流祖宮先生像

        碑文
嘉永五年武州忍藩の浪士宮発太郎信
徳先生諸国漫遊の途次当藩に来遊
時の閣老藤堂高克公号帰雲に聘せら
れ水泳師範となる 其の泳法実に神
技を極め恰も陸を行くが如し 公こ
こに於て観海如陸の句をおくりて激
賞せらる 先生との賞句をとりて流
名となし流祖となる 尓来観海流と
称し此処阿漕裏に道場を設けて子弟
を教導す 安政三年高弟山田省助衣
鉢を継ぎ初代家元となり二代山田羆
之進三代現家元山田慶介に至る
 今年茲に発祥百年祭の佳季を迎え
其の功徳を不朽に伝えんため全国の
門弟有志あいはかり之を建つ 時に
昭和二十九年七月二十八日
     最高師範  垂髪猛雄書

 
観海流発祥地碑
 観海流発祥地 碑
 (流祖宮先生像)

観海流説明板
 観海流 説明板