発祥の地bannar
国技(相撲)発祥の地
 [こくぎはっしょうのち]

場所
奈良県桜井市穴師
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JR桜井線の巻向駅から東に1.5km。
穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ=大兵主神社)に向かう途中,北側に見える小さな石鳥居を入ると,林の中に相撲神社の小さな社殿がある。その脇に「国技発祥の地」という説明板(由緒書)が建っている。

相撲神社は穴師坐兵主神社の摂社で野見宿彌を祀る。
『日本書紀』によると,当麻村(當麻邑)に當麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢がいて,力のある者と試合をしたいと言っていた。そのことを聞いた垂仁天皇は 力持ちとして名を知られていた出雲の国の野見宿禰を呼び寄せ,2人による我が国初の天覧相撲がこの地で催された。(垂仁天皇の7年=西暦360年頃=7月7日)
試合の結果は 野見宿禰が蹴速を蹴り技で倒し(腰を踏みくじいて)蹶速は命を失った。天皇は當麻蹶速の土地を野見宿禰に与え,宿禰はこの地にとどまって天皇に仕えたという。
現代の相撲とはかなり異なるルールの相撲だったようだが,古代における武術の争いは 命がけで行うことが常識だったのかもしれない。

現在 日本相撲協会の本拠地は“両国国技館”と呼ばれるなど,相撲を“国技”と呼ぶことに抵抗は少ないようだが,正式に相撲を国技と定めた規則は存在しない。柔道や剣道を国技と考える人もある。

神社の入口,道路沿いに「カタヤケシ由緒」という説明板が掲げられている。“カタヤケシ”とは,相撲神社のある場所の地名で,日本書紀に天覧相撲が行われた場所として記されている。

    カタヤケシ由緒
今を去る上古約二千年前垂仁天皇七年七月乙亥(七日)大兵主神社神域内小字カタヤケシにおきまして野見宿彌(ノミノスクネ),当麻蹶速(タイマノケハヤ)による日本最初の勅命天覧相撲が催されました。これが世界に誇るわが国国技相撲の曙光であります。
爾来相撲が国技として国家大本の行事とされ悠々の今日にいたっています。
日本書紀に「野見宿彌は乃ち都に留りて仕へまつる」とあり当地に屋敷を賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました。その偉大な徳を偲びここカタヤケシを日本民族の象徴的生地として世に知られています。
              恐徨謹書

撮影日
2012年6月 (写真提供 totteさん)
碑文
  国技発祥の地
       天覧角力・開祖  相撲神社
 国に国歌,国花があるが如く日本の国技は相撲である。相撲はもとは神の信仰から出て,国土安穏,護国豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり,第十一代垂仁帝の七年,野見宿彌と大麻蹶速が初めて天皇の前で相撲をとり相撲節(七月七日)となりそれがもとで後世,宮中の行事となった。
 昭和三十七年十月六日,大兵主神社に日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)を祭主にニ横綱(大鵬,柏戸)五大関(琴ヶ浜,北葉山,栃ノ海,佐田ノ山,栃光)をはじめ,幕内全力士が参列。相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ,この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於いて手数入りが奉納された。


 
国技発祥の地 説明板 相撲神社 社殿
国技発祥の地 説明板
相撲神社 社殿

相撲神社 鳥居
相撲神社 鳥居
右の石柱には“祭神 野見宿禰公”とある
相撲神社 土俵跡
相撲神社 土俵(?)跡
境内中央に4本の桜の木に囲まれた空間
奉納手形
相撲神社に奉納された手形
相撲神社 朱印
大兵主神社と相撲神社の朱印
「国技発祥の地」ではなく
「相撲発祥の地」と書かれている