発祥の地bannar
ピンポン伝来の地岡山
 [ぴんぽんでんらいのちおかやま]


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場所
岡山県岡山市中区門田屋敷2丁目
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岡山電気軌道の門田屋敷停留場から100m東。山陽女子高の北側に“三友寺”という臨済宗の寺がある。山門に向かって左手前に「ピンポン伝来の地岡山」と刻まれた石碑が建っている。

旧制第6高等学校(岡山大学の前身)の英語教師に エドワード・ガントレットという人物がいた。彼はイギリス生れで 22歳の時に宣教師として来日し,8年後に山田恒(山田耕筰の姉)と結婚。帰化して日本国籍も取得した。
51歳で英語教師となり,東京商科大学,第6高等学校などで教えたほか,パイプオルガンの演奏家であり,またエスペラント語の普及にもつとめた。山口に在任中は秋芳洞を学術調査して海外に紹介するなど,幅広い分野で活躍した。

山田耕筰の回想録によると,1899(明治32)年 13歳の時に,三友寺に寄宿していた姉(ガントレット恒)夫婦のもとに暮らして岡山の養忠学校に入学,義兄(ガンドレット)から 西洋音楽の基礎を学び,寺の本堂でピンポンの指導を受けた,と書かれている。
ピンポンが日本に伝来したいきさつについては複数あって,一般には“東京高等師範の坪井教授が(1902年に)視察先のロンドンから用具一式を持ち帰って全国に広めた”というのが通説となっているようだが,山田耕筰の話はこれよりも2〜3年早かったことになる。

この記念碑は,山田耕筰の生誕120年を記念して,岡山県の卓球協会が建立した。

撮影日
2014年7月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
ピンポン伝来の地岡山

 旧制第六高等学校の言語学教授として明治32年に来岡した英国人エドワード・カントレトは,ここ三友寺に寄宿していた。彼の義弟にあたる山田耕筰(明治19年〜昭和40年)は彼の自叙伝「若き日の狂詩曲」の中で「義兄より,作曲・エスペラント語等と共にピンポンの指導を受けた」と記述している。これは,坪井玄道教授が日本に卓球を伝えたと言われている明治35年よりも3年早いことである。ここに,耕作生誕の120周年を記念してこの碑を建立し,後世に伝えるものである。
        平成18年9月9日   岡山県卓球協会


 
ピンポン伝来の地岡山 碑  ピンポン伝来の地岡山 碑
三友寺山門  三友寺山門


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