発祥の地bannar
海軍炭鉱創業記念碑
 [かいぐんたんこうそうぎょうきねんひ]


場所
福岡県糟屋郡須恵町
コメント
JR 香椎線の新原駅から 南東に300mに, 新原公民館に隣接して 新原公園がある。 公園の入口に「海軍炭鉱創業記念碑」と刻まれた 2mほどの石碑が建っており(写真[1]), これが 目指す石碑かと思ったら, これは「公園の中に記念碑があるよ」という 案内碑であって, 本物の「創業記念碑」は 公園の奥に建っていた(写真[2])。
高さは 7〜8mもあるだろうか。昭和12年に建てられた立派な石碑である。

この地には“新原海軍炭鉱”と呼ばれた 旧海軍直営の炭鉱があった。1890(明治23)年に 開設され,“粕屋炭田”とも呼ばれた。
当時の軍艦は 石炭を燃料として航行したが, 狭い軍艦に多量の石炭を 積み込むためには 良質の(カロリー価の高い)石炭が求められ, 当初は イギリスなど から輸入したが, 国内で良質の石炭を探したところ ここ 新原のものが 最適とわかり, 海軍直営で鉱山を運営することになったという。
終戦まで採掘が続けられ, 戦後は 国鉄直営の炭鉱となったが 1964(昭和39)年に閉山となり, 75年の歴史を閉じた。

ここを通る 香椎線は, 粕屋炭田の石炭を海軍基地のある佐世保へ送るために 建設され, 博多湾の西戸崎まで 通じている。

撮影日
2005年11月
碑文[1]
海軍炭鉱創業記念碑
  紳士淑女枉駕
  昭和十三年戌寅年秋十一月
碑文[2]
海軍炭鉱創業記念碑   (■=碑文判読できず)

明治維新ノ大業成リ帝国海軍ノ基礎確立スルヤ政府ハ海軍用石炭ノ採掘自営ヲ計リ広ク全国各地ヲ調査ノ結果明治二十二年此地ヲ卜シテ新原採炭所ヲ創設ス是即チ我採炭部ノ濫觴ナリ爾来将ニ五十年其問日清日露ノ二大戦役ヲ■■テ今次ノ支那事変ニ及ビ或ハ観戦ノ行動ニ或ハ兵器機関ノ製作ニ海軍用炭ノ策源地トシテ貢献少カラズ而シテ■■当ルヤ協力一致採炭報国ヲ綱領トナシ国運ノ伸長ト共ニ躍進マタ躍進当初ノ年産僅ニ数万瓲ニ過ギザリシモ今ヤ六■万瓲ヲ超ユルニ至ル今昔相衡較スルニ転感慨ニ堪エズ此時ニ当リ近郷ノ有志相図リ創業以来当部ノ国家ニ致セル■■■ヲ■一ス又唯一ノ官営炭山トシテ■■ノ発展ヲ助長シ且ハ附近町村文化ノ啓発進展ニ毀誉スル所大ナリトシ其■■ヲ■■ニ顕彰スルタメ創業記念碑建立ノ議成リ碑文ヲ余ニ要ム依テ以テ誌之シ爾云     昭和十二年十二月十日
      海軍主計少将正五位勲三等 金谷 隆一

[1]案内碑 [2]海軍炭鉱創業記念碑
[1]案内碑
[2]海軍炭鉱創業記念碑