発祥の地bannar
西洋瓦発祥の地
 [せいようがわらはっしょうのち] 


発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。
個別の移転先ページのリンクは、このページの下部をご覧ください。

場所
神奈川県横浜市中区元町1丁目
コメント
横浜・元町の南側, 山手町に上る斜面に「元町公園」がある。 公園の上部から エリスマン邸の西側を通って 通路を下りていくと, 「山手80番館」の廃墟跡があり, その向かい側の 公園外との擁壁になったコンクリートの壁面に, 瓦のサンプルと「ジェラール瓦」と書かれたプレートが ガラス板で保護されてはめ込まれている。
また, その通路を更に下って, 元町プールの管理事務所に出ると, 「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」と書かれた説明板が建っている。

アルフレッド・ジェラールはフランス生まれ。 1864(元治元)年に 20代のときに来日し, 開港間もない横浜で商売を始めた。
当初は 食料品などを 横浜港に入港する船舶に供給していたらしいが, 明治の初めごろには 山手(元町公園のある高台とその斜面)の湧き水に着目して 船舶給水業を営むようになった。この水は非常に良質で 当時の船乗りの間で評判だったという。
次にジェラールは 西洋瓦と煉瓦の製造工場 "A Gerard's Steam Tile and Brick Works"を 現在の元町プール付近に設立。そこで製造される瓦と煉瓦は「ジェラール瓦」あるいは 「フランス瓦」と呼ばれ, 山手居留地の居留外国人の家や 山下町の商館などの建築に 広く用いられた。現在でも 横浜の旧外国人居留地を中心に これらの瓦が発掘されることが多い。

その後 給水業と瓦製造業の成功によって財産を築き, 1891(明治24)年頃 50代でにフランスに帰国した。
在日中に多数の仏像や陶器などを収集していて, 帰国後にランス市に寄贈され 現在はランス市美術館に保存されているという。

撮影日
1999年11月, 2004年7月
碑文1
ジェラール瓦

 元町公園は, わが国西洋瓦発祥の地であり, この斜面下の 平地では明治の初年からフランスンのアルフレッド・ジェラールが 「ふらんす瓦」を製造していました。
 確認されている最も古いジェラール瓦は, 明治6年(瓦に刻 まれた1873の数字は西暦, またニ型三型の数字は紀元の年号 を表示しています)製で, 関東大震災により崩壊焼失したこの 山手80番館にも「ALFRED/GERARD」銘のあるジェラール 瓦が葺かれていました。今日なお, 山手では「ふらんす瓦」の 異人館を多くみることができます。
 アルフレッド・ジェラールは, 山手の湧水を利用して船舶給水 業を営む傍ら, 「ふらんす瓦」はもとより赤煉瓦・ 有孔煉瓦, 陶 管, タイルの製造を手がけ, その工場は, 「煉瓦屋敷」もしくは 「水屋敷」として永く親しまれていました。
          昭和60年3月  横浜市緑政局
                  横浜開港資料館


ジェラールの瓦工場と水屋敷跡
   (西洋瓦製造のはじめ)
この地は, 明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが, 居留地建設にともな う西洋瓦や煉瓦を製造した工場ならびに水屋敷跡でる。
 ジェラールの経歴については不明な部分が多いのですが, 居留地77番〜79番の約 3,370坪(約11,200平米)を落札し, 永代借地権を獲得して蒸気機関を原動力とした工場 を経営しました。「日本絵入商人録(明治19年刊)」によると製品には, 西洋瓦・普 通及穿孔煉瓦・土管・タイルなどがみられます。1873年(明治6年)の製作年号のあ る瓦が確認される最古のものです。
 また,ジェラールはこの地から湧き出る清泉を代官坂に溝を掘って掘割に通し,「船 用最上引用清水販売所」の看板を掲げて, 船舶に販売しました。 水屋敷の呼び名がここから生れました。
 大正12年(1923)の関東大震災により崖が崩れ, 工場は倒壊してしまいました。 跡地は震災の復興に際して市有地となり湧き水を利用してプールを建設しました。
                横浜市教育委員会文化財課
                財団法人 横浜国際観光協会
                       平成5年3月


 
ジェラール瓦 「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」
ジェラール瓦 碑
「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」

元町プール事務所
 元町プール管理事務所

移転先 http://840.gnpp.jp/seiyogawara/