発祥の地bannar
天狗鍛冶の発祥地
 [てんぐかじのはっしょうち] 


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場所
三重県熊野市育生町赤倉
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JR紀勢本線有井駅から北西に約8km。
有井方面から県道52号に入り,札立峠のトンネルを抜け,育生町赤倉で大丹倉の矢印が有る林道に入る。この林道を4km強進むと 一寸広くなった駐車場があり,林道は行き止まりとなる。
この林道の終点に天狗鍛冶について書かれた看板が二つ設けられている。一つは 熊野市教育委員会による「史跡・天狗鍛冶鍛冶の発祥地」の説明板,もう一つは やはり熊野市が設置した「天狗鍛冶屋敷跡」という説明板で,ここにも「天狗鍛冶鍛冶の発祥地」の文言がみられる。

ここには“大丹倉(オオニグラ)”と呼ばれる 高さ300m・幅500mにも及ぶ大絶壁があり,昔から修験者たちの聖地だったところだった。“丹倉”は“赤い断崖絶壁”の意味があるという。
駐車場から10分ほど歩くと そそりたつ大絶壁に到着する。下の県道52号には 大丹倉展望所 がある。

「天狗鍛冶」についての情報は 下記の2つの説明板に書かれた内容がすべてであり,その他には ほとんど得られていない。

撮影日
2010年1月 (写真提供 T.H.さん)
碑文1
熊野市指定文化財
 史跡  天狗鍛冶鍛冶の発祥地
        (近藤兵衛屋敷跡)

 ここは,近藤兵衛という者の屋敷跡で,東西六四メートル,南北四五メートルの広さがあり,頂上は,高一メートル,天端(てんぱ)一メートルの卵形の土居が残る,中世の館の形式である。
 兵衛のことについて詳細は不明であるが,武士であると共に修験者でもあり,この場所で鍛冶を職とし,別名天狗鍛冶とされ,新宮の権太吉久・吉兵衛,久兵衛は兵衛より矢の根の技術を伝授されという。また,豊臣秀吉に度々矢の根を献上している。その他,槍,刀,など,数は少ないが現存している。
    指定 昭和四十四年七月十七日
          熊野市教育委員会
碑文2
天狗鍛冶屋敷跡 (熊野市指定文化財 史跡)
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熊野天狗鍛冶の発祥地
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 屋敷跡は大丹倉の北にあり,縦13m横9mの方形で高さ1m足らずの土手に囲まれている。今でも金属の原料などが出土している史跡である。
 文禄(1592〜96)のころ,丹倉の山守をしていた近藤兵衛という武士がいた。兵衛は大丹倉の岩壁にこもり,荒行をする修験者でもあった。神出鬼没の行状から,里人は彼を天狗さまと畏敬するようになったという。
 兵衛は矢の根鍛冶を得意としており,新宮の権太吉久(ごんたよしひさ)という鍛冶に矢の根の技術を授けた。吉久は,これを受け継ぎ,天狗吉久という名で矢の根鍛冶を続け,太閤秀吉に度々矢の根を献上したという。これが天狗鍛冶の始まりといわれている。現在、有馬町にある歴史民俗資料館には,「天狗吉久銘の槍」が展示されており熊野市指定文化財となっている。
 また,ここから引き返す途中に丹倉(あかぐら)神社がある 。祭神は近藤兵衛と高倉下(たかくらじ)で,御神体はしめ縄を張った巨岩である。天保10年(1839)と刻まれた御神灯があり,その横に木本浦の船津憲之が寛延3年(1750)に寄進した大きな鼎(金属の器)がある。
             黒潮回廊と神々の古郷 熊野市

 
天狗鍛冶発祥地 説明板
 天狗鍛冶発祥地 説明板
天狗鍛冶屋敷跡 説明板
 天狗鍛冶屋敷跡 説明板
大丹倉の絶壁
 大丹倉の大絶壁


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