発祥の地bannar
化学肥料創業記念碑  [かがくひりょうそうぎょうきねんひ] 

場所
東京都江東区大島1丁目
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横十間川に架かる 大島橋 の東側に 釜屋堀公園 という小公園がある。
この公園内に 「化学肥料創業記念碑」と「尊農」の碑が, また 公園の入口には 東京都が 設置した碑がある。

明治初年, 渋沢栄一の支援を得て 高峰譲吉(タカジアスターゼの発明者)が, 「東京人造肥料会社」を設立し, 自ら 社長 兼 技師長となって 日本最初の化学肥料製造にあたった。 この工場は 大正時代まで続いたが, 関東大震災で壊滅した。

この 場所は「釜屋堀」と呼ばれるが, その由来は 次のようなものであるという。
江戸時代(3代家光の時代), 太田氏釜屋六右衛門と 田中氏釜屋七右衛門 (通称釜六・釜七) が, この附近で 鋳物業を行ない なべかま などを造った。 そのため 人はこの地を「釜屋堀」と呼んだ。

撮影日
2002年11月
碑文
化学肥料創業記念碑

植物が栄養とする肥料の 成分は 窒素 燐酸 加里 か主 てあって 之を三要素と称 へ 窒素は主として葉を 燐 酸は果実を 加里は幹根を 形成するものてある 肥料 には古来 動植物質の腐熟 したものを多く用ゐたか 近代科学の発達は 化学的 に 窒素 燐酸 加里の各肥料 を 多量且つ廉価に生産す ることに成功し 是に依っ て 農作物等の収穫は画期 的躍進を見るに至った。 此の處一体は 実に我国化 学肥料の先駆たる 過燐酸 石灰製造工業創始の地て ある。

尊農

先覚 渋沢栄一 益田孝等ノ諸氏ハ 維新当 初ニ於テ 我カ国運ノ躍進ハ必スヤ人口 ノ激増ヲ来シ 食糧問題ハ 実ニ邦家将来 ノ緊要案件タルヘキヲ洞察シ 農業ノ発 達ト肥料ノ合理的施用トニ因リ 之カ増 収ヲ企図スヘキ堅キ決意ヲ為シ 欧米ニ 於ケル化学肥料ノ研鑽者タル 高峰譲吉 氏ノ協力ヲ得テ 明治二十年 初メテ此ノ 地ニ 東京人造肥料会社ヲ設立シ 過燐酸 肥料ノ製造ヲ開始セリ 是レ我国ニ於ケ ル化学肥料製造ノ嚆矢ナリ
本事業ハ 官民ノ協力二因リテ漸次進展 シ 後更ニ 空中窒素固定工業ノ勃興スル ニ及ヒ 農業生産ノ飛躍的増収ニ絶大ナ ル貢献ヲ為スニ至レリ 今ヤ曠古ノ非常 時局ニ際会セルモ 能ク一億国民ノ食糧 ハ 蓋シ化学肥料ノ発達普及ニ負フモノ 多シト謂フヘシ
同社ハ後ニ 大日本人造肥料株式会社ト 改称シ 此ノ地ハ 釜屋堀工場 トナリシモ 不幸大正十二年ノ関東大震災ニ壊滅シ 爾来二十星霜ノ久シキ寂トシテ 之ヲ顧 謀リ 碑ヲ其ノ址ニ建テテ 由来ヲ刻シ 永 ク偉績ヲ顕彰スルト共ニ 我国農業ノ興 隆ヲ期シ以テ 皇国ノ盛運ヲ奉頌ス
     昭和十八年十一月
          化学肥料創業記念碑建設会

化学肥料創業記念碑  化学肥料創業記念碑
化学肥料創業記念碑
化学肥料創業記念碑
の右側に掲げられている
『肥料の三要素』の図
「尊農」の碑  「尊農」の碑